2008年12月12日

さよならだけが人生ならば  また来る春は何だろう






この冬は、「ありがとう、さよなら」と、とくべつ幾度もつぶやく冬になりました。
石崎監督。名波。オカに、由紀彦。

でも、なにか言ういとまをゆるされないまま、ただ去っていく人がいる。
大好きだった会社の先輩、Kさん。
彼とは永遠のお別れで、それはちょうど最終節の神戸戦の日でした。


 * * *


「あのですね、Kさんが亡くなったんですよね」
電話をくれた元同僚は、まるで新刊の発売日が変更になりましたって申し送りするみたいに、ぼそっと言った。
お通夜は金曜で、土曜に告別式。詳細は決まり次第また連絡するので。
奇妙なくらい落ち着いた口調に、わたしもただ「はい、わかりました」とこたえて電話を切った。

自宅のお風呂場で倒れているKさんを発見したのは彼だったと、あとから知った。



世界中どこへ行ったって、けっきょく「たいへんじゃない仕事」なんてあるはずないので、わたしのいた職場が特別だったなんて訴える気はない。
それでもやっぱり、どうしようもなくたいへんな仕事だった。
文芸編集者というと、夜な夜な銀座のバーを飲み歩いたり、取材と称して作家とあちこち漫遊してばかりいる華やかなイメージをもたれることも多いけど、そんなスタア編集はごくごくひとにぎりの絶滅危惧種だ。
ひとりの優良作家の陰には、“その他大勢”の作家が10人、15人。こっちがむしろ仕事の中心で。
来る日も来る日も、おだて、尻をたたき、食わせ、褒めそやし、ののしられ、泣かれ、かみつかれ、おどし、なぐさめながらひたすら1行でもおおく原稿を書かせる。
〆切を守らないくらいはまだマシで、ゴミ屋敷と化した作家の家に便利屋とともに突入したこともある。
いったい、一日に文庫本何冊分読んで赤入れしただろう。
ほんとうに目から血が出るし、脳みそが腫れてパンパンに痛む。
14年ちょっとの会社員生活のうち、終電前に家に帰れたことなんてそもそも数えるほどしかないけれど、文芸畑にうつった最後の5年間は残業月100時間超えがあたりまえだった。
100時間超えるとカウンセリング、120時間超えると健康診断を受けさせられる。
その時間すらつくれないから、みんないつも過少申告していた。
もちろん、休日もへったくれもない。
「このご時世、残業代が出るだけでぜいたくじゃないか」と言われるにはせつないほど、体も心もいつもくたびれきっていた。

しかももっとも最悪なことに、そんな職場を牛耳るのがはえぬきの業突くババアで、見た目もふくめ、細木数子と野村沙知代とデヴィ夫人を足して三乗したような人間だった。
彼女のうしろから階段をおりるたび、「いま蹴り落とせば…」となんど頭をよぎったか。
わたしはとりわけ『女として』目の敵にされたらしく、パワハラまがいの仕打ちを受けつづけた。

どんなにつらくてもやっぱり好きで好きで誇りをもってた自分の仕事を「捨ててもいい」と思ったのは、そういえばふたりの女性のことばがきっかけだったかもしれない。
「あたしの担当やってるうちは、まちがっても子ども作って産休とったりしないでね」と笑顔で言った作家と、
「作家にこんな程度しか書かせられないようじゃ、たとえ母親になってもまともな子ども育てられないわよ」と原稿を投げ返したババア。



Kさんは、いつもわたしたち現場の後輩の心の支えだった。
とにかく頭がきれて、責任感がつよく、まじめ。
よくみんなで「Kさんは『東大卒』っていうハンデがあるから」とからかったものだけど、業界人にありがちな“ハッタリ勝負”じゃなく、ほんとうに正しく仕事のできる人だった。
副編集長なんて身もふたもない中間管理職で、ストレス責めの日々。
そこからうまいこと逃げたりせず、真っ正面から波かぶってくれてた。
ババアに逆らってはくれなくても、そのぶん一番に波をかぶってずぶ濡れになってくれてた。
なにより、Kさんはもの書く人を最後の最後では愛していたと思う。畏れ、かもしれない。
作家って生き物は、自分の才能に敏感な人間に、敏感だ。とうぜん信用された。
派手なホームランはなくとも、シュアなバッティングでつねに打率を保つタイプの人だった。

一方で、おどろくほど気がもろく、口下手で、距離のはかりずらい人だった。
冗談もバカ話も、あまりうまくなかったっけ。
作家はほめるくせに、わたしたち下の者をほめてはくれなかった。
わたしが、扱いが難しいことで有名だった作家を担当して、はじめてトラブルになったとき。
「…あなたらしくないね」
そうつぶやいた彼のひとことで、逆に、あぁすこしは買ってくれてるのか、とちょっとびっくりしたのをおぼえてる。

なんだかんだ言ってつきあいのいい先輩でもあった。
超のつく競馬オタクで、夏に連れてってもらった小倉競馬場では、職場以上に口数が少なくなる姿におどろかされたり。
食い道楽なところではとくに好みのピントが合って、たまのオフにいっしょに香港にのりこんで注目のレストランを食べ歩いたり。
サッカーにはさほど興味がないようすだったけど、代表戦がある夜は、さりげなく編集部のテレビのチャンネルを合わせてくれたり。
そういえば「鮎のうまい店があるから行こうよ」って約束、今年も果たせずじまいだったな。



そんなKさんが、突然、この世からいなくなった。
わたしが辞めたあと、彼は編集長になっていた。
毎週定例の会議の朝、なんの連絡もなく出社しないのを不審におもい(たんなる寝坊ですら、Kさんにかぎってありえない)、同僚がマンションへ駆けつけ、鍵屋を呼んでドアを開け、部屋に入ってみたら、お風呂場で倒れてすでに亡くなっていた。
たったひとりで、冷たくなって。


お通夜の夜はひどい雨で、お葬式の朝はうんと冷え込んだ。
6ヶ月に入ってずいぶん大きくなったお腹をかかえ、わたしは最後のお別れにうかがうこともできなかった。
相模湾をのぞむ海辺の町は、ひたすら遠く思えた。
元同僚たちに「もう帰ってこない人間より、これから生まれる命のほうが大切だから」と説得されたし、正直、自分でもちゃんと行ってちゃんと帰る自信がなかった。
弔電は、NTTの用意された例文の中からなんとなく選んで送った。
ダンナはちょうど出張中だったので、わたしは家から一歩も出ずに、ひとり分のごはんを食べ、掃除をして、風呂に入り、ちょっとまぬけな妊婦体操をいつもどおり2セットやってから寝た。

お葬式のあと、先輩からメールが来た。
「富士山がよく見えました」
ただそれだけのメールを見たとき、やっと、Kさんがまだ46歳だったことを思い出した。





会社を辞めてずいぶんとたち、わたしはすこやかに幸せな毎日だ。
仕事にでかけるダンナはいい顔をしていて、わたしは夕飯の献立に悩み、春には家族がひとり増える。
親の病気もどうにか落ち着いた。
さいきんは、飼ってる亀が冬眠しちゃってさびしいなぁと思っていたら、ちょうど入れかわるように毎日庭に子猫があそびにくるようになって、夫婦ふたりでやれ「ミルクを残さず飲んだ」やれ「庭木で爪をといだ」といって笑いあっている。
なんの不安もなく夜眠り、朝起きる。
血眼で納期に間に合わせた本をひらいてみたら乱丁落丁だらけで回収騒ぎ…というリアルな夢で大汗かいて飛び起きることも、ここ最近ようやくなくなった。

そんななか、Kさんの死を悲しむことができないままでいる。



そういえば。
ことしALで隣の席だったおじさん。
ものしずかなふつうのおじさんだと思ってたら、じつは息子さんが工務店メンバーで、息子の嫁もレイサポで、家族そろって筋金入りでおどろいた。
おじさんの代わりに奥様がALにいらして、いつもおじさんにお世話になってまーすとご挨拶したこともある。
とってもやさしそうな方で、次の週、おじさんをさんざん冷やかした。

ホーム最終の大分戦の日。
一年間仲良くしてくれたお礼を言い、来年も年チケ継続するの?って聞いたら、おじさんは大きくうなずいた。
「じゃあ、来年はふんぱつして奥様とふたり分買っちゃいなよ! わたしの席あくから並びでとれるし」とすすめると、
「嫁はこないだ死んだんですよ」って、いつものこんにちはと変わらない声がかえってきた。
早朝、玄関前をはきそうじしてた奥様に、わき見だか居眠りだかの車が突っ込んだそうだ。
あっけにとられてなにも言えないわたしの隣で、おじさんはいつもと同じように魔法びんの日本酒をのみ、あられをポリポリつまんでいた。

「元気な赤ちゃんをうんでね」
試合が終わったあと、ほほえんでそう言ってくれた。






誰かとの別れを惜しむのは、さいわいなことだと思う。
その人の不在を悲しみ、なげく時間と場所があるのは、とてもめぐまれたことだと思う。
ただおきざりにされた者は、涙さえ流せない。
いつもどおり、ただメシ食って寝るだけ。
からだの真ん中がポッカリからっぽのまま。
『人間一生糞袋』という江戸っ子のタンカが頭にうかび、不謹慎なじぶんに思わず笑ってしまった。

いまわたしができることといえば、味方を見捨ててひとりだけ泥舟から逃げ出した、その後味のわるさをかみしめるだけだ。
だって、辞めたあとだった。
「俺が編集長になったら、副編集長にはMがいい」
まえからKさんそう言ってたんだよ、って聞かされたのは。






Kさん、やっぱり、ほめるの遅いよ。


生きてるうちに、ほめてほしかったよ。








 * * *




神戸で石さんとレッツゴーを踊れて、とってもよかったね。
スカパーの再放送ではゴール裏が映ってなくて見れなくて残念だったけど、まだ、元旦国立があるもんね。
明日、入れ替え戦がどんな結末になるかはわからないけれど、さいごにこんなしびれるおまけを2試合もプレゼントしてくれた神様には、感謝しなくちゃいけない。
しかし、ナナの引退と、オカと由紀彦の戦力外と、入れ替え戦と。
それぞれ思い入れたっぷりでエントリ立てようと思ってたのに、まさかいっぺんに片がつく展開になるなんて、想像もしなかったなぁ。




『さよならだけが
 人生ならば 
 人生なんか いりません』

とりあえずお別れのみんな、いままでありがとう。
また、いつかどこかで。
この冬は、とくべつな冬になりました。
そしてわたしは、また来る春をしずかに待つことにします。

いまはまだなにも見えなくても、
はるかな地の果てに咲く野の百合や、やさしい夕焼けや、さみしい平原にともす灯りが、
あなたたちの目に映るときが、きっとくる。
そう祈りながら。


























posted by きなこ at 16:14| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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