2008年10月23日

あの日の鹿島サポと、いまのわたしと、これからの日立台。

以下、ものすごく長いです。









鹿サポの友人がいる。
大好きな友人だ。

ドイツW杯のときに現地で知り合い、ひとり参加客だった数人で仲良くなり、滞在中ずっと親しくおつきあいさせていただいた。
それ以来、代表戦があるときには集まって飲んだり、Jの試合でもお互いに「いい試合しよう」とエール送りあったり。
ちょっと年上のお姉さんだけど俺なんかが足元に及ばないほどパワフルで、好奇心キラキラで、情熱的で、チャーミングで、お仕事がら超テキパキさんで世話好きで、頼もしくて、フェアな人。
ユース世代の海外遠征にまでまめに顔出すくらい、心底サッカーを愛してる人だ。

そんなSさんは、ドイツにいる間、しばらくどこのサポかを教えてくれなかった。
俺はむこうでもおもっきし黄色いプロコンシャツ着てタオマフ巻いたりしてたんで(J2はW杯中も中断がなかったわけで、日本時間に合わせて黄色くなってた)、どなたの目にもレイサポであることは一目瞭然だったし、ほかの日本人たちともJの話でよく盛り上がった。
だけどSさんは、どこのサポか、口を開かなかった。
帰国間際にようやく鹿サポであることをこっそり打ち明けてくれたが、
「あんまり大っぴらに言いたくなくて…」
先入観をもってほしくない、というようなニュアンスだった。
当時はジーコへの評価もどん底の底の底だったし、小笠原が微妙な立場だったりしたこともあって、きっと鹿サポだからこその歯がゆさやもどかしさもあるんだろうな、って思ってた。

ただ、それ以上に、『鹿サポ』であること自体がSさんの痛みになってるように見えた。

わたしは、正直、あの時点ではSさんの表情の意味を、重く感じてはいなかった。
強豪チームのサポでうらやましい、くらいに思ってた。





なんとなく雲行きがおかしくなってきたのは、翌年にレイソルがJ1復帰してからだ。

ひさびさのカシマスタジアム。
アントラーズというチームと再び戦える喜び。待ちに待ったもつ煮。
Sさんにも会える。
ところが、わざわざアウェー側ゲートにまでやってきてレイサポを威嚇・罵倒・恫喝する鹿島サポーターの一部チンピラどものせいで、わたしもSさんもその場から移動することができず、「危ないし怖いから今日はやめとこう」ということで会うことができなかった。
その後べつの場でSさんに会ったとき、わたしは無神経にも中心団体の蔑称を使って「あの馬鹿どものせいで不愉快だった」と彼女にぶつけてしまった。
「本当に申し訳ない。あいつらは鹿島の恥」
Sさんはわざわざ頭を下げてくれ、苦々しげに言った。

もちろん、だからといって鹿サポ全体を敵視するつもりなんてこれっぽっちもなかった。
中心団体がかなり問題を抱えた組織なのは昔から知っていたけど、どこのサポにもまずい部分はあるものだ。
実際、柏にだってひどい大事件を起こした過去がある。
「困ったもんだよね」「いつかトラブルにならなきゃいいけどね」と愚痴りあう程度だった。





ところが、それ以降、あちこちのスタジアムでぼこぼこと事件が起こる。
鹿サポの関係することも、新聞沙汰とまではいかずとも、連続で奇妙に目立っていた。







そして、今年の9月20日。

悪夢の一日。
思い出すだけで、いまだに、キーボードを叩く指が怒りでふるえる。


Sさんの柏到着が遅れたこともあり、試合前にフードコートで会うことはできなかった。
試合後は、当然、Sさんの存在も忘れていた。
なんとか日立台をあとにして、常磐線に乗り、奥歯がくだけそうなくらい噛みしめて憤りをおさえようとしていたとき、
Sさんからメールが来た。
「鹿島の恥です。ごめんなさい」
その瞬間、限界からあふれてしまった。


「『一部のバカの仕業』といつまでも見逃してていいのかな」


そう返してしまった。
「今日はひきわけてよかった。うちが勝ちでもしてたら、もっとひどい目に遭わされたでしょうから」
こんな八つ当たりまで書いてしまった。
われながらひどいな、と思った。
付け足すように小笠原が重傷じゃないように祈ってます、とも書いたけど、自分でも欺瞞だなってわかってた。


でも、ピッチ内外であんなひどい光景を目撃したあとでは、もう「困ったもんだよね」で済ませることはできなかった。
わたしにとっては、もう、一部団体だけの問題じゃなかった。
もう、あいつらの団体名の蔑称だけで片づけたくなかった。




わたしたちの聖地を汚された。
鹿島アントラーズのサポーターに。






それ以来、Sさんからのメールはない。




(ちなみに…わたしはプレー中の小笠原にブーイングいっぱい浴びせたし、彼が倒れた瞬間にはこのままピッチを去ってくれと期待した。ただ、例の場面では「拍手はやめようよ」ってまわりに向かって言った。怪我人に拍手するなんて、あの瞬間のALのゆがんだ熱気には、正直胸糞悪かった。
だけどそんな小さな声は何の役にも立たず、なんでもっと大声で叫ばなかったのか、いまだにおのれのケツの穴の小ささを恥じています)
 









なんでいまさらグチグチこんなことを蒸し返してるのか。

あの事件については、鹿島アントラーズの対応が明確になってから、そしてわが柏レイソルの今後の対策が発表されてから、書こうと思ってました。
(Jリーグ側からのアクションなんてはなから期待してない)
クラブ間で一応の決着をみるまでは、時間をおいたほうがいい。
そうでないと、鹿サポにむけてありとあらゆる呪詛の言葉を吐きつけかねなかった。
Sさんの顔が脳裏をよぎる。
もう、あのときのメール以上にひどい言葉を、友人にぶつけたくはなかった。



だけど。

鹿島の『サポーターズミーティング』の議事録の、あまりの馬鹿馬鹿しさ。
昨日レイソルからリリースされた日立台の運営変更の、さびしさ。

悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、
やっぱりキーボードを叩く指のふるえは止まりそうもない。



だから支離滅裂だけど胸の中のごちゃごちゃを全部さらしちまえと思いました。
一般論じゃなく、建設的な意見とかサポーターとしての前向きな提言でもなく、
あくまでも“わたし”の話。
これを吐き出さないことには、やっぱり、ぜんぜん先に進めない。











ずっと、鹿島アントラーズというチームに尊敬の念を抱いてきた。


中2のときの文集を開くと、他の生徒がまじめに作文書いてる中、わたしのページにはなぜかリトバルスキーの似顔絵と西ドイツ国旗が書いてある。
ご多聞にもれず『キャプ翼』でサッカーに目覚めちゃって以来(当時は岬太郎に惚れすぎたせいで頭がおかしくなっており、担任が朝礼で出欠をとるときも「岬さん!」と呼ばれないと返事しなかった ←アホ)、サッカーマガジン読み漁ったりサッカー部の顧問を追いかけまわして質問攻めにしたり、とにかくいろいろ小知恵をつけた。
1982年のW杯スペイン大会を知った。
リトバルスキーに惚れると同時に、もちろん、ブラジルの『黄金の四人組』の存在を知った。
とりわけ、ジーコに憧れた。
まさか日本に来て代表監督になる時代がやってくるだなんて妄想すらできなかった。
ヒトリデデキターのおじさんになってしまうまでは、俺の脳内ではジーコはずーっとかわみなみの『シャンペン・シャワー』の「ディッコ」そのものでした。(これ読んでないサカヲタ女子なんてモグリですから)

ジーコが日本でサッカーする。
それも、田舎の小さな町の、2部リーグのチームで。
信じられなかった。


そこからのJの発展、鹿島アントラーズの栄光、ジーコの偉業については、語るに野暮だ。

(代表では本当にひどい目に遭わされたけど。
 ジーコにはせめて俺の100万円返してくれよと訴えたい)



わたしはガキの頃から家族の影響で野球もラグビーもかなり好きで見ていたのだが、
鹿島アントラーズというチームには、なぜかいつも新日鉄釜石ラグビー部、あるいは赤ヘル黄金時代の広島東洋カープがかぶる。
ユニの色だけじゃない。
チームのたたずまい。
応援する者たちのにおい。
ホームグラウンドの空気。
はじめて鹿島に行ったとき、真紅に染まったスタジアムのいたるところでひるがえる旗が、大漁旗に見えた。
釜石のおっちゃんたちがブンブン振りまわしてた、あの大漁旗。
胸が熱くなった。


川崎出身、読売ランドの近所で育ったもんで、J開幕当初はいちおうヴェルディ川崎のサポーターをやってたが、クラブに愛想つかしてやってられなくなって、その後はひたすら日本代表を追いかけつつ海外サッカーをぼちぼち見て、ところがある日名波浩という選手に惚れ、ジュビロを応援しつつナナギャルやってた。
そんなわけで鹿島と磐田の二強時代も“敵”としてよく知っている。


それに、誰がなんといおうが、俺にとっての日本代表の左サイドバックは、相馬直樹だ。




ああなんでこんなにダラダラくどく書いてるかといえば、
わたしがどれだけ鹿島アントラーズという存在に特別な気持ちを抱いてきたか、それを伝えたいんです。
Sさんに。そして鹿島アントラーズを愛する人たちに。





いまでも、鹿島アントラーズの選手たちには敬意をもってる。
憎たらしいけど、本当にサッカーが上手くて強くて、すばらしい選手たちだと思う。心底憎たらしいけど。

カシマスタジアムは、何度訪れても、いいようもない感慨がこみあげる。
日本のサッカーの歴史をしずかに、でもたしかに感じることができる場所だから。


だけど、というか、だからこそ、
もう二度とカシスタには行かない。
あんなクラブに少しでもお金を落とすような真似はしたくない。

わたしはいまだに鹿島サポーターを許すことができないままでいる。
Sさんに「ひどいこと言ってごめんなさい」って謝りのメールを送れないままでいる。






どう表現すれば、あなたたちにわかってもらえるんだろう。
わたしが日立台をどれだけ愛しているか。
本気で、死んだらこっそり骨を日立台の片隅に埋めてほしいって思ってるんだ。(ダンナの了解もとりつけ済み)


ちっちゃくて仮設でボロくてせまくて雨宿りさえろくにできなくて1万ちょっとでぎゅうぎゅうだけど、
こんなにも“サッカー好きのためだけにある”スタジアムは世界中どこにもない。

自分たちの手で聖地を汚す大事件を起こして以来、
レイソルはクラブもサポーターもひとつになって、
自分たちの手で聖地をふたたびよみがえらせる努力をしてきた。

陽射しのふりそそぐフードコートで、敵味方なくみんながビール飲んで屋台にならんでまったりしてる光景も、
ゴール裏のネタに、アウェイ側からダメ出しされちゃったりする光景も、
レイくんがアウェイサポを煽りに行ったのに逆に愛玩されちゃったりする光景も、
帰りの三小通りで、やっぱり敵味方まじってトボトボ歩いてる光景も、
いつもいつも、日立台は幸せでいっぱいだった。

試合に勝とうが負けようが、他サポが「やっぱ日立台いいよなー」って言ってくれることが、じつは一番うれしい。
でしょでしょ?
また来てね!
チケとりづらくて迷惑かけるけど、日立台こそが最高のおもてなしだと信じてきた。


あの日までは。




鹿島にとって『ジーコ・スピリッツ』がひとつの象徴であるならば、
柏にとっての魂は、まちがいなく『日立台』そのものだ、と思う。

すくなくともわたしには、何にも替えられない、この世にひとつだけの誇りだ。


その誇りを踏みにじられた悔しさを、どうすればわかってもらえますか。
怒りと悔しさと悲しみであの晩一睡もできなかった、わたしの気持ちはどうすれば伝わるのだろう。










鹿島の『サポーターズミーティング』議事録を読んだときの驚きを表現するのも、難しい。
言葉を選ばずに、思ったまま正直に書く。



まず、危機感および当事者意識ゼロの社長。
この人の頭の中身が、北の湖とまったく同じであることにあぜんとした。
横綱が巡業さぼろうがリンチで人が死のうが力士が大麻やろうがとにかく「親方の責任だと思います」のひと言で済ませようとした、
親方の言い分だけ聞いて「きっちり事情聴取した」「重く受けとめなければいけない」とかぬかしやがった、
ひとりふたり形式的に処分した程度でお茶にごそうとしやがった、
けしてみずから範をしめそうとしなかった、
あの無能な前理事長といったいどこがちがうというのか。

まぁ、どこからどう読んでも「責任とる気も改善する気もまったくありません」って本音丸出しの議事録をちゃんと公開した姿勢だけは、逆にあっぱれと褒めたくなるくらいだ。
わたしが鹿の広報なら恥ずかしくていたたまれなくて業務放棄するかもしれない。
(都合の悪いとこは修正しまくっただろうが、それでもあれが限界だったんだろう。同情すらおぼえる)


さらに、フロント側と同じドアから堂々登場したらしい、コールリーダーなる人物の発言。

「インファイトとしてやっているとそういうもめ事に巻き込まれるのは事実です。良く思っていない人が必ずいるし、アルコールが入って絡まれたりすることは多々ある。自分から行くことはないのですが、それでも相手が来た場合は仲間を守るしかない。知らんぷりはできません。仲間意識が強いから大問題になることもあります。暴力事件はいけないのはみんな分かっています。」

日本語がずいぶん不自由な方のようですので、
『盗人猛々しい(ぬすっとたけだけしい)』という言葉もきっとご存知ないのだろう。

あの日の鹿サポの愚行の数々は、他のブロガーさんたちが仔細に書いてくれてるので、
わたしは、わたしの目で見たことだけを書きます。
試合前と試合後、それぞれ目の前で見た鹿島サポーターの数人の姿を、いまだに忘れることができない。
吐いた台詞の一字一句も、そいつらの顔も、しっかり脳裏に焼きついてる。

わたしが試合開始の1時間半前に日立台に到着したとき、西ゲートの手前で、鹿サポの男がふたりがかりで、運営スタッフらしき人ひとりに因縁をつけていた。
煮しめたような小豆色のそろいのTシャツを着て、ふたりとも片手にビールの缶、片手にチューハイの缶(もちろんロング缶)を持ち、酔った息をスタッフの顔に吐きかけるような距離でグダグダからんでいた。
場内に缶をもちこませろと言ってる様子だった。
ああまた馬鹿磯がやってるよ、とあきれつつ横を通りすぎようとしたとき、ひとりの台詞が聞こえた。

「……だーかーらー、俺らだって暴れたくて暴れるわけじゃないんだよ。
 でも若いやつらが盛り上がって暴れちゃったら、ぶっちゃけ止めらんないわけよ。
 俺らべつにはじめっから暴れるつもりないわけよー。
 でもみんな暴れだしちゃったらどうしようもないじゃん? あんたたちだって暴れてほしくないでしょ?」 

また、試合後(というか試合終了前だけど)バクスタ通路からホーム側ゴール裏の入り口まで侵入し、物を投げたりボランティアスタッフにつかみかかったり一般サポを追っかけ回したりしていた鹿サポの男ども。
やはり煮しめた小豆色のTシャツを着ていたが、試合前の酔っぱらいとはちがう柄だった。
そのうちのひとりが、手足ふりまわして目がいっちゃってるやつを羽交い締めにした。
やや良識派と思われるひとが、仲間の狼藉を止めながら、こう叫んでたのだ。

暴れんな!
 これ以上暴れんな! もどれ、もどれ!
 いいか、もうここではぜってー暴れんなよ! いいな、暴れんなよ!」
  

ああ、この人たちは徹頭徹尾『暴れる』『暴れない』ってことが行動規範なんだなぁ、とよくよくわかりました。

この人たちの実際に言ったことやったことに照らし合わせ、コールリーダーとやらの発言を正しい日本語に翻訳すれば、こうなります。

「インファイトとしてやっているとそういうもめ事を起こすのは事実です。良く思っていない人が必ずいるし、アルコールが入って絡んだりすることは多々ある。自分から行くことがほとんどなのですが、相手が歯向かってきた場合は徒党を組んでさらに攻めるしかない。知らんぷりはできません。仲間意識が強いから大問題になることもあります。暴力事件はいけないなんてみんな思っていません。むしろのぞむところです。」


どこかまちがってる?







そして、議事録の中で、フロント側やコールリーダーに一生懸命食い下がっていた、一般サポの人たち。

読んでて、せつなくてたまらなかった。
きっとみんな半ばあきらめにも似た心境で、それでも一筋のかすかな光を信じ、わざわざあのミーティングに出席し、ありったけの勇気をふりしぼって発言したんだと思う。
文書上では『参加者』という味気ない単語で片づけられてしまってるけれど、
どんな人なのか顔は見えないけれど、
あせり、とまどい、いらだち…、いろんな感情を抱えたサポーターの姿が目に浮かぶようだった。
ちょっと救われたような気がしました。

あれ読んだら、あのミーティングを「茶番だ」と鼻で笑うことなんてできない。

そもそも鹿サポさんのブログをあちこち読んで、多くの人が真摯に考え、悩んだり憤ったりしてること、よくわかってます。
そういえばあの日、日立台をようやく脱出したところで、ひと組の鹿サポカップルに「すみませーん、写真撮ってくださーい」と無邪気に頼まれた。
おもっきし鹿のレプユニ着た、笑顔のカップル。
こっちがわはあからさまにレイサポの群れ。
おいおいこいつら正気かよと一瞬面喰らったけど、よく考えたらこれこそいつもの日立台の光景だった。
きっとはじめて日立台に来てくれたんだな。楽しんでくれたかな。ピッチの近さ、喜んでもらえてたらいいな…。




わたしだって、「鹿サポ」なんてひとくくりで語る乱暴なやり方、本当はしたくない。






でも、頭ではそう思ってても、心はまだ、ぜんぜん割り切れないんです。

泥酔して暴れまわる鹿サポを、見て見ぬふりしてた鹿サポ。
大旗で選手をつつこうと走る鹿サポを、止めなかった鹿サポ。
にぎった拳ふりかざす鹿サポと、それを必死に制止しようとした鹿サポ。
「一部の馬鹿」な鹿サポと、彼らのリードで歌いコールしつづける鹿サポ。
あの小豆色のTシャツ着た鹿サポと、
初めて日立台に来たであろう鹿サポと、
何があったか見えなかった、知らなかった鹿サポ。
心からアントラーズを応援してる鹿サポ。
いつかカシスタで見た、誇らしげに旗をふる鹿サポたち。

大好きな友だちのSさん。




わたしは誰を責めて誰をかばえばいいのか、まるでわからない。
いったい誰をにくめばいい?










レイソルは弱っちいし、どうにもヘタレだ。
「何冠」なんて輝かしい歴史もない。A代表に呼ばれる選手もいない。
スポーツ新聞にはいまだに“トラブルメーカー”扱いを受ける。
勝てなくて、ポロポロ負けて、お願いだから残留しておくれよぅなんて祈るようなへぼい状況だ。
選手もサポも、なにかにつけびぃびぃ泣いてばっかりいる。

だけど、いまほど柏レイソルのサポーターであることを誇らしく思うときはない。

クラブは今回のことについてまごつきながらも誠実に対応してくれてると思う。
主催者責任ってやつをしっかりとらえて、いまできるかぎりのベストを尽くしてくれてると思う。
少なくとも、サポにむけて、すみやかに、ていねいに、発信してくれてる。
運営ルールの変更も、めちゃくちゃ悔しいしさびしいけど、信頼して支持します。

うちのコアも、本当に立派だと思う。バカだけど。
もちろん中心部が復活してからずっと「仲間」として「リーダー」として認めているし、だからこそ彼らのしきりをすすんで受け入れてきたけれど、あの日のコアの「あんなやつらと同じ土俵には立たない」「もう二度と過ちをくりかえさない」って姿勢を間近にして、ああまちがいなく生まれ変わったんだな、ってしみじみうれしかった。
調子乗りすぎて下品でひんしゅく買うこともあるけど、暴力を容認するような最低なメンタリティだけはどこにもないって信じられる。
ちょっと尊敬しました。
バカだけど。
ちなみにカタカナの「バカ」は誉め言葉だけど。


そして、にもかかわらず、向こうの馬鹿の挑発を真に受けて相手した“一部の馬鹿”がレイサポ内にもいる。
わたしはそいつとひとくくりに「柏サポは…」となじられても文句は言えない。

 
のどかで幸せな日立台のままではいられなくなったけど、『安全で快適なスタジアム作り』めざしてできるかぎり努力しなければ、と思う。
他サポのみなさんに安心して来てもらえる日立台をとりもどさなくちゃいけないと思う。
クラブ、選手、サポ仲間といっしょになら、できると思う。








鹿島アントラーズのサポーターは、どこをめざしてるんだろう。
やっぱ「12冠」なのかな。










きりがないから、もうこれで終わりにします。


わたしは、生まれてくるわが子に、日立台を見せる日を楽しみにしてきた。
かあちゃんの愛する日立台は、こんなにもすてきな場所なんだよ、って。
かあちゃんの大好きな柏レイソルは、こんなすげぇスタジアムで、すげぇサポたちと一緒に戦ってるんだよ。

はじめての遠出はぜったい日立台、って決めてる。(これもダンナの了解とりつけ済み)

来年必ず上がってくるはずのベガルタ仙台と、絶対残留してるはずのレイソルで、また死闘くりひろげるんだ。
んで、ベガサポのダンナには悪いが、日立台ではチビにはレイソルのユニ着せるぜ。
でもまだ早すぎて無理か。
とにかくその日を心待ちにしてきた。

でも、もう、わたしが惚れた日立台と、わが子の目にうつる日立台は、別モノだ。
ベガサポとレイサポと、いっしょにオカの悪口言いながらメシ食うなんて夢も、もうかなわない。
それが心から残念でならない。



Sさん、直接メールを送れないままで、ごめんなさい。
ひどい八つ当たりして、本当にごめんなさい。
今度会えるときには、日立台で、うちの子抱っこしてほしかったです。











posted by きなこ at 08:03| Comment(18) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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