2009年08月28日
失ってしまったものは いつの間にか地図になって 新しい場所へ誘ってく
ふと。
去年の年末に『ヒストリーチャンネル』でやった、チュンソンと鄭大世に密着した番組を見たときのことを思い出した。
番組の終わり近くで、たしか「お互い、日本代表と北朝鮮代表として試合をしたいか?」みたいな質問をされて、チュンソンは困ったような苦笑いを浮かべ、「親善試合ならいいけど、できればやりたくないです」みたいな答え方をしてた(うろ覚えですが)。
一方のテセは「俺はガチでやりたいね」と即答だった。
だからどうしたってわけでもないけど、ああ、チュンソンってそういう子だよね、って、妙に脳裏に焼きついてる。
たぶんチュンソンは強くない。
“気の強さ”や“負けず嫌い”をよく挙げられるけど、ちょっとちがってて、
あれは正確に言えば〈認められたがり〉なんだと思う。
認められたい。認めてくれよ。俺を認めてください。
チュンソンからはいつもそんな心の声が聞こえてた。
たぶんチュンソンは誰かのそばに居場所がほしい子だ。
いまのレイソルには、彼の居場所を用意してあげられる人がいないんだろう。
石崎さんはとっくにいないし、フランサにはその役は果たせない。
ペトロヴィッチ監督は(チュンソンからすれば)まさにうってつけの存在だと思う。
移籍先が広島、と知ったとき、思わず「そうだろうなぁ」と膝を打った。
やってるサッカーの中身以上に、チームのたたずまいに魅力を感じてたはずだ。
どことなく、07年のレイソルに似てる。
チュンソンが一等輝いてた、あの頃のレイソルに。
そして、たぶんチュンソンはこの先もずっと〈渡り者〉として歩いてく。
「サッカーの世界では、来る者がいれば、去る者もいます。
常に流れ動いている中で、僕の番が来ました。」
チュンソンのこの言葉を読んで、そんな気がした。
自分を認めてくれる誰か、自分が輝けるどこかを求めて、流れ流れていくんだろう。
チュンソンは“新生”柏レイソルの象徴でもあり、同時に鬼っ子でもあった。
エースと呼ばれ、でもミスターレイソルではない。
彼を薄情だとかドライだとか責める気はいっさいないし、彼の不在を嘆き悲しんだりすることもない。
(今季の移籍に関して言えば、わたしは石川くんが出てったことのほうがずっとずっとずっとずーっとダメージ大きかった。じつは今もさびしくて胸が痛い)
このタイミングで…と少し驚きはしたけれど、結局、感想は「さもありなん」のひと言だ。
ああ、チュンソンってそういう子だよね、のひと言だ。
たとえばかつて苦渋の決断で仙台を去った佐藤寿人とは、わけがちがう。
いつかは出て行く子だとわかってた。
あの『函館の奇跡』で、雄叫びを上げながらピッチを走り回るチュンソンを見て、
まるで山猫のようだ、と思った。
捕獲され、保護された山猫は、その後きちんとしつけられ、いつしか見栄えもお行儀もいい飼い猫になってしまった。
やんちゃな飼い猫なんて怖くない。
チュンソンに足りないのは、野性だ。
このままレイソルにいても、山猫にはもどれないだろう。
(広島でならもどれるのかと言えば、それも疑問ではあるけれど)
とっても愛着のある選手だけど、ひきとめる謂れもない。
ありがとう、と感謝して送り出すつもりもない。
むしろ「あれ、チュンソンってあんな男だったっけ!?」と裏切られた気にさせてほしいんだ。
チュンソン。
サンフレッチェのオフィシャルに載ってた紫ユニ姿、とっても似合ってる。
柏木や槙野とバカやって盛り上がる姿が目に浮かぶ。
チュンソン。
それで終わるなよ。
いつかあたしたちレイサポが悔しくて唇かみしめて血を流すくらい、強くなれ。
いつかあたしたちレイサポがきみの前にひざまずいて涙を流すくらい、恐がらせてくれ。
つきぬけろ。
2009年07月29日
想い出はモノクローム 色を点けてくれ
元気でやってます。
おちびはまもなく生後4ヶ月です。
さすが未来のミスターレイソルだけあって、とにかくボールがともだちです。
一日中なめてます。 (;´Д`)もうそりゃベロンベロン
※お座りしてるバウンサーおよびボールの色使いがちょっと他チーム仕様なのは気にしないでください…
19時キックオフだと風呂&寝かしつけとドンかぶりでぜんぜん観れません。
しかし鹿島戦はなんとしても見たかったので、コンバトラーVで学んだ超電磁タツマキにより赤子をむりやりベッドに
音声なしで。。。
日立台から遠ざかっているあいだに、いろんな人が来て、いろんな人がいなくなって、またいろんな人がやって来た。
今のレイソル、まったくわかりません。
背番号もわからんし、正直、顔と名前が一致しない選手もいるし。
なんで井原がレイソルベンチにいるのかいまだに不思議すぎて違和感ありまくりだし。
もうフルベ(←同い年)だけが心の支えですよ。。。(´・ω・`)
っていうかハモンって。
やっぱりもうサポミで「この生ハム野郎!!」とか言われちゃってるんでしょうか。
ハモンってラテン語ではたしか『後足』って意味だったと思いますが、サッカー選手としてはかなり微妙なツボにはまる名前ですね。
思わず福西さんの前足を思い出しました。
とにかく、“見知らぬレイソル”にとまどいながら見てた。
すこし他人行儀な態度で眺めてた。
音を消してるととくに、まるでアジアのどこかの国のリーグをたまさか衛生中継で見てるような気分になる。
ところが、ゴール裏が映った瞬間。
あぁ、いつもの黄色だ。
ものすごくホッとした。
選手やスタッフがどんなに入れ替わっても、イナゴの群れみたいにどこでも黄色く染めつくすあいつらさえいれば。
ともあれ、レイソルさん的には、鹿相手にいい試合ができちゃったりするのはわりに想定の範囲内なので、この1試合だけをとらえて感じることはとくにない。
次の神戸戦。
次の日立台。
ここがすべて。
この90分で、全部燃やせ。
18時キックオフだから前半は見れる。
日立台方面目がけて超電磁フルスパーク飛ばします。
そうそう、10月11日の柏の葉で、子連れスタジアムデビューの予定であります。
(葉っぱにはベイベーベッドはあるのだろうか)
到着早々グズりまくられてずーっと抱っこでおっぱいでウンチでおむつ替えで結局試合なんか1秒も見れずハーフタイムで強制退去ってオチが待ってそうな悪寒がするが、
とにかく行くだけ行きます。
行くだけなら行ける。
行けそうだ。
行ける気がしなくもない。
行けたらいいな…
ちなみに過去30年間のデータから割り出された『天気出現率』というのを調べてみたら
↓
http://weather.goo.ne.jp/appearance_ratio/p0019/10/11.html
晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろ晴れろぉぉぉおぉおおぉぉ(呪)
2009年05月18日
光あふれる揺りかごの中で
こちらでのご報告遅れましてすみませぬ。
うちのおちびさん、生まれてからもう1ヶ月あまり経ちました。
未来のミスターレイソルのあんよ。現在約10センチ。

お腹の中にいたときからキック力の強さはわかっていたけど、
蹴りっぷり、本当に並みじゃないっす。
おまえはロベカルか、ってくらいドカドカドカッ、ボゴッッッ!!とやる。
しかもラフプレーが多い。
気に入らないとすぐ蹴る。たたく。頭突く。
それどころか、わたしはメガネをむしりとられたりする。
ほとんど“ピクシーにイエローカード取り上げられた主審”状態(´Д`;)カエシテー
あ、あと、ロングスローも得意です。
おしゃぶりを自らつかみ、いらなくなるとブンッと放り投げる。
かなり飛びます。ベビーベッドがピッチだとすると、ハーフウェイライン付近からゴール前まで届きます。
号泣しながらだとさらに飛距離がのびます。
とにもかくにも、おかげさまで無事出産済みであります。
* * *
産みの苦しみ、というけれど。
昔読んだ本に、こんな一節があった。
「春の嵐は、『母』なる自然が一年を産み落とすときの苦しみの爪跡である」
オフィシャルやサポブログもぜんぜんチェックできないし、そもそも90分間きちんと試合を見ることも難しい。
見てないから不安が増す。そして、見てないから危機感がうすい。
チームが何に苦しんでいるのか、真に迫って共有できないのがとてももどかしい。
ただ。
いまこのときをまだ春と呼んでよいならば。
レイソルをもてあそぶ春の嵐は、この先に豊かな実りの季節を迎えるための、産みの苦しみであると信じたい。
どんなに鋭く深く傷つこうとも、それは新しく生まれる光をつかむべくもがいた、勇気ある爪跡だと信じてる。
ちなみに。
わたくしは無痛分娩だったので、まさに出産まっ最中ってときには苦痛はほぼ感じませんでした。
いやー、医療技術の進歩ってやつは本当にすばらしい。
分娩が終わった瞬間に思ったことは「これなら今すぐにでももうひとり産める…!」だった。
ただ、そのぶん、麻酔が切れた後がしんどくてねぇ。
露骨な話ですがあそこの縫い傷がモーレツ痛くて、ただ寝てるだけだと「痛ぇ、マジ痛ぇ!!」と声が出てしまう。
そこで、病室で一晩中『KAWABE』『チュニジア』『アンゴラ』を無限ループで熱唱し、なんとか気合いでのりきった。
産みの苦しみから救われるには、やっぱり、サポの歌声が必需品なんですな。
日立台に集うみなさん、たたかう選手たちになにとぞ大声で励ましの歌を。
まだまだスタジアムで戦えないわたしだけど、胸の奥の声はいつもふりしぼって、レイソルとともに。
それはともかく、産むときより産んだあとのほうがずっとたいへんだぞ。
毎日睡眠3時間だコノヤロー。
それと、へそは元の姿には修復不可能っていうか、
もうここから先はへその余生だと思ってあきらめました。
2009年03月04日
たいくつにペロッと おそわれたらパヤッパ
気がついたらもう開幕直前なのでした。
いくらなんでもご無沙汰しすぎなので、ちょっぴり生存報告を。
(気にかけてくださってたみなさま、ありがとうございます!)
元気です。
もうすぐ臨月です。
腹、すごいです。
へそが限界です。
あたくし、自分で言うのもなんだが、へその形にはけっこう自信があった(縦長でちょっと深め)。
ところが腹の皮がのびきって、へそもひっぱられて、インサイドがアウトサイドにポジションチェンジして、
つまり穴がなくなってキタ━━━━(゜д゜;三;゜д゜)━━━━!!!
このままさらに腹がふくらむと、俺のへそ、どうなっちゃうんだろう。
ブラックホールからホワイトホールへと変身するのか…
毎日ちびきなが腹の中で激しく暴れまわるのですが、こいつのキックはどうもサッカー選手風じゃない。
フランサの神ボレーみたいに華麗に足を蹴り抜いてくれればまだいいのだが(痛いけど)、
あばら骨めがけてしつこくしつこく蹴りを入れてくる。
ちょっと前に逆子だったときは、膀胱めがけてしつこくしつこくしつこく蹴りを入れてくる。
あまりに粘着質な蹴りなので「こいつ、スライディングタックル連発でしつこい!!」と嘆いたら、
ダンナ「いや、それは アリ戦の猪木 だね。」
俺「Σ( ̄□ ̄;)!!」
そ っ ち か よ 。
寝たままローキックかよ…
そういえば、ぜんぜん関係ないが、こないだ朝ごはん食べながら『巌流島』の話になったわけですよ。
テレ朝の若い女子アナが『巌流島の戦い』を知らなかったというネタで、あたくしはまったく最近の若い奴らは信じられんブツブツとぼやいておった。
するとダンナが「じゃあ、きなこは知ってるんだ?」と真顔で聞いてくるので、
「武蔵と小次郎でしょ!?」と答えたら、
ダンナ「だからきなこはダメなんだよ」
俺「 …!? 」
ダンナ「巌流島といったら マサ斎藤と猪木 じゃないか。」
俺「Σ( ̄□ ̄;)!!」
そ っ ち か よ 。
たいまつで殴り合いかよ…
(ってか、もっちゃんわかんないから…)
という具合で、最近どうにもレイソル分が足りません。
友だちが送ってくれたちばぎんのDVDをなめるように見ておりますが、やっぱり“実感”としてのワクテカ感を抱きづらい。
いまは自分の体の中に圧倒的なリアリティが詰まってるもんで、さびしいかと言われれば正直そうでもないんだけど。
あ、チャラ男がボスナーはじき飛ばしたシーンには興奮したなぁ。
なぜか腹の中の猪木もはげしく反応してました。
ちなみに、石さんとオカについては、正月の天皇杯終了時点でスパーッと切り替わっちゃった。
とくにオカは、国立のゴール裏にああいう形で現れたことで、冷たく響くかもしれないけど「プロサッカー選手」として彼を想う気持ちがおさまったというか消えたというか。
「ピッチの上じゃなくても、オカが元気で生きてればそれでいいや」って妙に納得しちゃってます。
逆に、由紀彦にはとことん現役にこだわってしがみついてほしかったので、長崎に決まってすごくほっとしました。
新たなチャレンジ、彼らしくがんばってほしい。
しかしさ、一番「漢(オトコ)」なのはじつは由紀彦の嫁じゃないですかね。
この週末はどうやらお天気冴えないみたいですが、みなさまどうぞお風邪など召しませんように。
こんど更新するときは、たぶん、すでに生まれちゃってずいぶん後だという気がしなくもないですが、
せめてその頃まではどうか浩太が無事に生きてますように。
あとタニが復帰してアルセウも治ってあや吉とかいう娘がまともにしゃべれるようになってますように。。。
よくわかんないけど
フラペチーノ、レイソル!!!ヽ(`Д´)ノ
2008年12月31日
are you ready?

大そうじもやり終えた。
おせちの支度も済んだ。
家のお飾りもととのえた。
チケットも神棚におそなえした。
(年賀状は書いてない…)
あとは
みかん食べて、
紅白見て、
年越しそば食べて、
お風呂入って、
除夜の鐘きいて、
寝て、
起きて、
お屠蘇なめて、
お雑煮食べて、
おせちつまんで、
黄色くなって、
国立へ行くだけ。
元日は、今シーズン「バカ納め」 かつ 来シーズン「バカ初め」。
でけぇ腹かかえてゴール裏のりこむぞ。
90分だろうが120分だろうがもっともっと先があろうが、
「大丈夫だよ。これがウチの勝ちパターンだ」って念じつづけてやる。
そんでいつか、ちびきなに(←あ、男子みたいです)
「この胸の赤い星は、おまえが生まれた年に、みんなでつかんだ星なんだぜ」
って教えてやるんだ。
さぁ、全力で、ノリノリで、一心同体で、
俺たちの天下無敵の星をつかもう!!
2008年12月12日
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
この冬は、「ありがとう、さよなら」と、とくべつ幾度もつぶやく冬になりました。
石崎監督。名波。オカに、由紀彦。
でも、なにか言ういとまをゆるされないまま、ただ去っていく人がいる。
大好きだった会社の先輩、Kさん。
彼とは永遠のお別れで、それはちょうど最終節の神戸戦の日でした。
* * *
「あのですね、Kさんが亡くなったんですよね」
電話をくれた元同僚は、まるで新刊の発売日が変更になりましたって申し送りするみたいに、ぼそっと言った。
お通夜は金曜で、土曜に告別式。詳細は決まり次第また連絡するので。
奇妙なくらい落ち着いた口調に、わたしもただ「はい、わかりました」とこたえて電話を切った。
自宅のお風呂場で倒れているKさんを発見したのは彼だったと、あとから知った。
世界中どこへ行ったって、けっきょく「たいへんじゃない仕事」なんてあるはずないので、わたしのいた職場が特別だったなんて訴える気はない。
それでもやっぱり、どうしようもなくたいへんな仕事だった。
文芸編集者というと、夜な夜な銀座のバーを飲み歩いたり、取材と称して作家とあちこち漫遊してばかりいる華やかなイメージをもたれることも多いけど、そんなスタア編集はごくごくひとにぎりの絶滅危惧種だ。
ひとりの優良作家の陰には、“その他大勢”の作家が10人、15人。こっちがむしろ仕事の中心で。
来る日も来る日も、おだて、尻をたたき、食わせ、褒めそやし、ののしられ、泣かれ、かみつかれ、おどし、なぐさめながらひたすら1行でもおおく原稿を書かせる。
〆切を守らないくらいはまだマシで、ゴミ屋敷と化した作家の家に便利屋とともに突入したこともある。
いったい、一日に文庫本何冊分読んで赤入れしただろう。
ほんとうに目から血が出るし、脳みそが腫れてパンパンに痛む。
14年ちょっとの会社員生活のうち、終電前に家に帰れたことなんてそもそも数えるほどしかないけれど、文芸畑にうつった最後の5年間は残業月100時間超えがあたりまえだった。
100時間超えるとカウンセリング、120時間超えると健康診断を受けさせられる。
その時間すらつくれないから、みんないつも過少申告していた。
もちろん、休日もへったくれもない。
「このご時世、残業代が出るだけでぜいたくじゃないか」と言われるにはせつないほど、体も心もいつもくたびれきっていた。
しかももっとも最悪なことに、そんな職場を牛耳るのがはえぬきの業突くババアで、見た目もふくめ、細木数子と野村沙知代とデヴィ夫人を足して三乗したような人間だった。
彼女のうしろから階段をおりるたび、「いま蹴り落とせば…」となんど頭をよぎったか。
わたしはとりわけ『女として』目の敵にされたらしく、パワハラまがいの仕打ちを受けつづけた。
どんなにつらくてもやっぱり好きで好きで誇りをもってた自分の仕事を「捨ててもいい」と思ったのは、そういえばふたりの女性のことばがきっかけだったかもしれない。
「あたしの担当やってるうちは、まちがっても子ども作って産休とったりしないでね」と笑顔で言った作家と、
「作家にこんな程度しか書かせられないようじゃ、たとえ母親になってもまともな子ども育てられないわよ」と原稿を投げ返したババア。
Kさんは、いつもわたしたち現場の後輩の心の支えだった。
とにかく頭がきれて、責任感がつよく、まじめ。
よくみんなで「Kさんは『東大卒』っていうハンデがあるから」とからかったものだけど、業界人にありがちな“ハッタリ勝負”じゃなく、ほんとうに正しく仕事のできる人だった。
副編集長なんて身もふたもない中間管理職で、ストレス責めの日々。
そこからうまいこと逃げたりせず、真っ正面から波かぶってくれてた。
ババアに逆らってはくれなくても、そのぶん一番に波をかぶってずぶ濡れになってくれてた。
なにより、Kさんはもの書く人を最後の最後では愛していたと思う。畏れ、かもしれない。
作家って生き物は、自分の才能に敏感な人間に、敏感だ。とうぜん信用された。
派手なホームランはなくとも、シュアなバッティングでつねに打率を保つタイプの人だった。
一方で、おどろくほど気がもろく、口下手で、距離のはかりずらい人だった。
冗談もバカ話も、あまりうまくなかったっけ。
作家はほめるくせに、わたしたち下の者をほめてはくれなかった。
わたしが、扱いが難しいことで有名だった作家を担当して、はじめてトラブルになったとき。
「…あなたらしくないね」
そうつぶやいた彼のひとことで、逆に、あぁすこしは買ってくれてるのか、とちょっとびっくりしたのをおぼえてる。
なんだかんだ言ってつきあいのいい先輩でもあった。
超のつく競馬オタクで、夏に連れてってもらった小倉競馬場では、職場以上に口数が少なくなる姿におどろかされたり。
食い道楽なところではとくに好みのピントが合って、たまのオフにいっしょに香港にのりこんで注目のレストランを食べ歩いたり。
サッカーにはさほど興味がないようすだったけど、代表戦がある夜は、さりげなく編集部のテレビのチャンネルを合わせてくれたり。
そういえば「鮎のうまい店があるから行こうよ」って約束、今年も果たせずじまいだったな。
そんなKさんが、突然、この世からいなくなった。
わたしが辞めたあと、彼は編集長になっていた。
毎週定例の会議の朝、なんの連絡もなく出社しないのを不審におもい(たんなる寝坊ですら、Kさんにかぎってありえない)、同僚がマンションへ駆けつけ、鍵屋を呼んでドアを開け、部屋に入ってみたら、お風呂場で倒れてすでに亡くなっていた。
たったひとりで、冷たくなって。
お通夜の夜はひどい雨で、お葬式の朝はうんと冷え込んだ。
6ヶ月に入ってずいぶん大きくなったお腹をかかえ、わたしは最後のお別れにうかがうこともできなかった。
相模湾をのぞむ海辺の町は、ひたすら遠く思えた。
元同僚たちに「もう帰ってこない人間より、これから生まれる命のほうが大切だから」と説得されたし、正直、自分でもちゃんと行ってちゃんと帰る自信がなかった。
弔電は、NTTの用意された例文の中からなんとなく選んで送った。
ダンナはちょうど出張中だったので、わたしは家から一歩も出ずに、ひとり分のごはんを食べ、掃除をして、風呂に入り、ちょっとまぬけな妊婦体操をいつもどおり2セットやってから寝た。
お葬式のあと、先輩からメールが来た。
「富士山がよく見えました」
ただそれだけのメールを見たとき、やっと、Kさんがまだ46歳だったことを思い出した。
会社を辞めてずいぶんとたち、わたしはすこやかに幸せな毎日だ。
仕事にでかけるダンナはいい顔をしていて、わたしは夕飯の献立に悩み、春には家族がひとり増える。
親の病気もどうにか落ち着いた。
さいきんは、飼ってる亀が冬眠しちゃってさびしいなぁと思っていたら、ちょうど入れかわるように毎日庭に子猫があそびにくるようになって、夫婦ふたりでやれ「ミルクを残さず飲んだ」やれ「庭木で爪をといだ」といって笑いあっている。
なんの不安もなく夜眠り、朝起きる。
血眼で納期に間に合わせた本をひらいてみたら乱丁落丁だらけで回収騒ぎ…というリアルな夢で大汗かいて飛び起きることも、ここ最近ようやくなくなった。
そんななか、Kさんの死を悲しむことができないままでいる。
そういえば。
ことしALで隣の席だったおじさん。
ものしずかなふつうのおじさんだと思ってたら、じつは息子さんが工務店メンバーで、息子の嫁もレイサポで、家族そろって筋金入りでおどろいた。
おじさんの代わりに奥様がALにいらして、いつもおじさんにお世話になってまーすとご挨拶したこともある。
とってもやさしそうな方で、次の週、おじさんをさんざん冷やかした。
ホーム最終の大分戦の日。
一年間仲良くしてくれたお礼を言い、来年も年チケ継続するの?って聞いたら、おじさんは大きくうなずいた。
「じゃあ、来年はふんぱつして奥様とふたり分買っちゃいなよ! わたしの席あくから並びでとれるし」とすすめると、
「嫁はこないだ死んだんですよ」って、いつものこんにちはと変わらない声がかえってきた。
早朝、玄関前をはきそうじしてた奥様に、わき見だか居眠りだかの車が突っ込んだそうだ。
あっけにとられてなにも言えないわたしの隣で、おじさんはいつもと同じように魔法びんの日本酒をのみ、あられをポリポリつまんでいた。
「元気な赤ちゃんをうんでね」
試合が終わったあと、ほほえんでそう言ってくれた。
誰かとの別れを惜しむのは、さいわいなことだと思う。
その人の不在を悲しみ、なげく時間と場所があるのは、とてもめぐまれたことだと思う。
ただおきざりにされた者は、涙さえ流せない。
いつもどおり、ただメシ食って寝るだけ。
からだの真ん中がポッカリからっぽのまま。
『人間一生糞袋』という江戸っ子のタンカが頭にうかび、不謹慎なじぶんに思わず笑ってしまった。
いまわたしができることといえば、味方を見捨ててひとりだけ泥舟から逃げ出した、その後味のわるさをかみしめるだけだ。
だって、辞めたあとだった。
「俺が編集長になったら、副編集長にはMがいい」
まえからKさんそう言ってたんだよ、って聞かされたのは。
Kさん、やっぱり、ほめるの遅いよ。
生きてるうちに、ほめてほしかったよ。
* * *
神戸で石さんとレッツゴーを踊れて、とってもよかったね。
スカパーの再放送ではゴール裏が映ってなくて見れなくて残念だったけど、まだ、元旦国立があるもんね。
明日、入れ替え戦がどんな結末になるかはわからないけれど、さいごにこんなしびれるおまけを2試合もプレゼントしてくれた神様には、感謝しなくちゃいけない。
しかし、ナナの引退と、オカと由紀彦の戦力外と、入れ替え戦と。
それぞれ思い入れたっぷりでエントリ立てようと思ってたのに、まさかいっぺんに片がつく展開になるなんて、想像もしなかったなぁ。
『さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません』
とりあえずお別れのみんな、いままでありがとう。
また、いつかどこかで。
この冬は、とくべつな冬になりました。
そしてわたしは、また来る春をしずかに待つことにします。
いまはまだなにも見えなくても、
はるかな地の果てに咲く野の百合や、やさしい夕焼けや、さみしい平原にともす灯りが、
あなたたちの目に映るときが、きっとくる。
そう祈りながら。
2008年11月07日
放課後の校庭を走る君がいた 遠くで僕はいつでも君を探してた
タニ、お誕生日おめでとう。
24歳。
キャプテン。
大谷秀和たる者、いつまでも「年齢のわりにしっかりしている」という評価だけじゃ、満足できません。
わたしは、もっともっと熱いタニが見たい。
調整役、じゃない。バランサー、というのもちがう。
戦うレイソルを誰よりも象徴する、ふつふつと激しい高ぶりをもっと見たい。
ほっといても玄人好みの選手として活躍するのはまちがいないのだが、
わたくしは、もうちょっと「年相応」にあばれはっちゃくな姿が見たいなぁ、と思う。
彼にひと目惚れした2005年11月26日、
あの日のタニはやんちゃで元気で、生命力いっぱいで、キラキラしてた。
激愛をささげていたはずのダータマ先生が、まぶたの奥でかすんで消えた。
当時はSS席でサテン地のガウンを着てワイングラスを回しつつペルシャ猫をなでながら双眼鏡をのぞいていたわたくしは、背番号23を凝視しながら思わず叫んだものだ。
「なにあの 超マブい子猿 !!!!」
ごめんタニ…
でもほんとに『キュートな孫悟空』って感じに見えたのよ…
とにかく。
草津戦みたいな引け腰のタニは、俺の愛するタニではないにゃー。
いぶし銀なんてまだ早い。
チームをガンガン押し上げてひっぱっていく、そんな男気あふれる大谷秀和でいてください。
ついでなので、日々わたくしが愛でる「いい男」たちの近況について。
◆藏川洋平様
クラは一時不遇をかこつくらいがセクシーだと思います。
村上くんのようなひょっ子には到底かもし出し得ぬ、苦味ばしった大人の男の色気で勝負してほしい。
「永遠の若手」かつ「永遠の独身」「永遠のお色気担当」でいてほしい。
めざせ、レイソルのジョージ・クルーニー。
◆梁勇基様
さいきん『梁くんには大阪に残してきた婚約者がいる』という噂を耳にし、たいへん傷心の日々でございます。
個人的に、梁くんにはせつない、報われない恋をしててほしいんです。
たとえば「幼なじみで初恋の相手、だけどいまは人妻…」みたいな。
その人妻には子どもがいて、子どもにモテる梁くんはすっかりなつかれていて「リャンリャン大好きー」みたいな。
せつねぇー。
◆バラク・オバマ様
いやべつにオバマが好きなわけじゃなく、いまテレビ見てたらたまたま出てきただけっすけど。
わたしとダンナがずーっと髪を切ってもらってる中目黒のサロンのスタイリストT氏(←サッカー好き)は、非常にオバマに似ている。
もうちょっと色白で、あそこまで演説は上手くないが。
そして、同時に彼はラーションにも非常に似ている。
もうちょっと背が高く、あそこまでサッカーは上手くないが。あと、ドレッドにしてた過去もない。
オバマ ≒ T氏 ≒ ラーション
ってことは「オバマとラーションは似てる」ってことになりそうだが、全然似てないよなぁ。なぜだ。
◆斉藤大介様
レイサポの方々にはピンと来ないかもしれませんが、京都でキャプテンしてはった斉藤さんがいまベガルタにいらっしゃいます。
『ザ・日本の職人』といったお顔立ちとお人柄で、すっかりベガサポに愛されまくっている斉藤さんですが、どうもすこし変なのです。
仙台でお気に入りのお店はできましたか?と聞かれ、「立ち食いそばです」。
よく聞く音楽のジャンルは?と聞かれ、「ジャンルで言えばアニソンです」。
ちなみに、つねに大まじめです。
最近ちょっとびっくりしたのが、
あこがれの選手は?と聞かれ、「カズさんと 稲本さん 」。
そっか、斉藤さんってあんな顔してイナよりいっこ下なんだよね。
ありえねー。
◆佐藤由紀彦様
そんな斉藤さんに『スティーブン』(←もちろんジェラードの意)とあだ名をつけた由紀彦。
ブログの最新エントリ、Q&A大会がなかなかおもしろい。
みずから『富士の黒豹』と名乗ってますが、柏にいた頃より若汗色白になられたのではないかと…。
個人的に一番心をゆさぶられたQ&Aがこれ。
Q:カラオケの十八番は何ですか?
ちなみに僕は徳永英明の「レイニー・ブルー」です。
A:カラオケはここ何年行ってませんが(笑)徳永のレイニー・ブルーと来ましたかぁ。
そしたらこっちにも考えがあります。BOOYのオンリー・ユーという事で。
そしたらこっちにも考えがあります。
池田聡の「モノクローム・ヴィーナス」という事で。
◆杉山浩太様
最後に突然こんな名前が出てくるのには、理由があるんです。
もしよかったらおはなしを聞いてください。
*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜ *・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜
おとといのさむい夜のことです。
夢の中にコータがあらわれました。
へやのすみっこで、ぼおっと体育座りしています。
こないだ試合で90分もがんばったから、疲れてるのかな?と心配になりました。
うつむきがちに、ひざをかかえるコータ。
よく見ると、首から下がふかふかのフエルト生地でできているのです!
あまりの愛くるしさに、わたしはそっと近づいてみました。
ところが、腰のあたりの糸がほつれて、中の綿がちょっぴりはみ出しているではありませんか。
「コータくん、痛くないの?」ときいてみました。おどかさないように、しずかに、ゆっくりと。
するとコータは首をちょっとかしげてこう答えたのです。
「ううん、だいじょぶ。」
わたしはおもわずコータを抱きしめました。
そのとき、とてもすてきな音がしました。
もふもふ。
*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜ *・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜
あの夜以来、寝ても覚めても浩太のことが頭をはなれません。
もしかして、恋…?
(すまんね許してねなんせいまホルモンバランスがおかしいもんだから)
あ、古賀ちゃんも三年目の浮気…じゃなかった、四度目の正直ガンガレ。
24歳。
キャプテン。
大谷秀和たる者、いつまでも「年齢のわりにしっかりしている」という評価だけじゃ、満足できません。
わたしは、もっともっと熱いタニが見たい。
調整役、じゃない。バランサー、というのもちがう。
戦うレイソルを誰よりも象徴する、ふつふつと激しい高ぶりをもっと見たい。
ほっといても玄人好みの選手として活躍するのはまちがいないのだが、
わたくしは、もうちょっと「年相応」にあばれはっちゃくな姿が見たいなぁ、と思う。
彼にひと目惚れした2005年11月26日、
あの日のタニはやんちゃで元気で、生命力いっぱいで、キラキラしてた。
激愛をささげていたはずのダータマ先生が、まぶたの奥でかすんで消えた。
当時はSS席でサテン地のガウンを着てワイングラスを回しつつペルシャ猫をなでながら双眼鏡をのぞいていたわたくしは、背番号23を凝視しながら思わず叫んだものだ。
「なにあの 超マブい子猿 !!!!」
ごめんタニ…
でもほんとに『キュートな孫悟空』って感じに見えたのよ…
とにかく。
草津戦みたいな引け腰のタニは、俺の愛するタニではないにゃー。
いぶし銀なんてまだ早い。
チームをガンガン押し上げてひっぱっていく、そんな男気あふれる大谷秀和でいてください。
ついでなので、日々わたくしが愛でる「いい男」たちの近況について。
◆藏川洋平様
クラは一時不遇をかこつくらいがセクシーだと思います。
村上くんのようなひょっ子には到底かもし出し得ぬ、苦味ばしった大人の男の色気で勝負してほしい。
「永遠の若手」かつ「永遠の独身」「永遠のお色気担当」でいてほしい。
めざせ、レイソルのジョージ・クルーニー。
◆梁勇基様
さいきん『梁くんには大阪に残してきた婚約者がいる』という噂を耳にし、たいへん傷心の日々でございます。
個人的に、梁くんにはせつない、報われない恋をしててほしいんです。
たとえば「幼なじみで初恋の相手、だけどいまは人妻…」みたいな。
その人妻には子どもがいて、子どもにモテる梁くんはすっかりなつかれていて「リャンリャン大好きー」みたいな。
せつねぇー。
◆バラク・オバマ様
いやべつにオバマが好きなわけじゃなく、いまテレビ見てたらたまたま出てきただけっすけど。
わたしとダンナがずーっと髪を切ってもらってる中目黒のサロンのスタイリストT氏(←サッカー好き)は、非常にオバマに似ている。
もうちょっと色白で、あそこまで演説は上手くないが。
そして、同時に彼はラーションにも非常に似ている。
もうちょっと背が高く、あそこまでサッカーは上手くないが。あと、ドレッドにしてた過去もない。
オバマ ≒ T氏 ≒ ラーション
ってことは「オバマとラーションは似てる」ってことになりそうだが、全然似てないよなぁ。なぜだ。
◆斉藤大介様
レイサポの方々にはピンと来ないかもしれませんが、京都でキャプテンしてはった斉藤さんがいまベガルタにいらっしゃいます。
『ザ・日本の職人』といったお顔立ちとお人柄で、すっかりベガサポに愛されまくっている斉藤さんですが、どうもすこし変なのです。
仙台でお気に入りのお店はできましたか?と聞かれ、「立ち食いそばです」。
よく聞く音楽のジャンルは?と聞かれ、「ジャンルで言えばアニソンです」。
ちなみに、つねに大まじめです。
最近ちょっとびっくりしたのが、
あこがれの選手は?と聞かれ、「カズさんと 稲本さん 」。
そっか、斉藤さんってあんな顔してイナよりいっこ下なんだよね。
ありえねー。
◆佐藤由紀彦様
そんな斉藤さんに『スティーブン』(←もちろんジェラードの意)とあだ名をつけた由紀彦。
ブログの最新エントリ、Q&A大会がなかなかおもしろい。
みずから『富士の黒豹』と名乗ってますが、柏にいた頃より若汗色白になられたのではないかと…。
個人的に一番心をゆさぶられたQ&Aがこれ。
Q:カラオケの十八番は何ですか?
ちなみに僕は徳永英明の「レイニー・ブルー」です。
A:カラオケはここ何年行ってませんが(笑)徳永のレイニー・ブルーと来ましたかぁ。
そしたらこっちにも考えがあります。BOOYのオンリー・ユーという事で。
そしたらこっちにも考えがあります。
池田聡の「モノクローム・ヴィーナス」という事で。
◆杉山浩太様
最後に突然こんな名前が出てくるのには、理由があるんです。
もしよかったらおはなしを聞いてください。
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おとといのさむい夜のことです。
夢の中にコータがあらわれました。
へやのすみっこで、ぼおっと体育座りしています。
こないだ試合で90分もがんばったから、疲れてるのかな?と心配になりました。
うつむきがちに、ひざをかかえるコータ。
よく見ると、首から下がふかふかのフエルト生地でできているのです!
あまりの愛くるしさに、わたしはそっと近づいてみました。
ところが、腰のあたりの糸がほつれて、中の綿がちょっぴりはみ出しているではありませんか。
「コータくん、痛くないの?」ときいてみました。おどかさないように、しずかに、ゆっくりと。
するとコータは首をちょっとかしげてこう答えたのです。
「ううん、だいじょぶ。」
わたしはおもわずコータを抱きしめました。
そのとき、とてもすてきな音がしました。
もふもふ。
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あの夜以来、寝ても覚めても浩太のことが頭をはなれません。
もしかして、恋…?
(すまんね許してねなんせいまホルモンバランスがおかしいもんだから)
あ、古賀ちゃんも三年目の浮気…じゃなかった、四度目の正直ガンガレ。
2008年10月29日
ふり返れ 歩きだせ 悔やむだけでは変わらない 果てのない 昨日より 明日は少しましになれ
横浜M戦については、もう試合終了の笛と同時にスカーーーッと整理がついちゃってるので、中身をとやかく語るつもりはないですが。
前回あんなエントリ上げた以上、『で、実際日立台はどうだったのさ』という件、きちんと自分の目で見て肌で感じたことを報告せねばならんと思い、蛇足ぎみに書きます。
一、日立台は平和だった。
たしかに千葉県警のおぢさんたちがウヨウヨいたけど、あんな衝撃事件の後としては、こんなもんで済んでむしろ幸いだなーってくらい、のどかな空気だった。
なにより、レイサポの誰もが心配してた“アウェイ側のトイレ”、つまり
『磯便』
ですが、予想より数が多くてマシだったことにとりあえず胸をなでおろしました。
仮設で、手洗い場も洗面台もなく、水も流れない最低限のトイレ、いわゆる
『磯便』
(悪いけど、わたし、怒りと恨みと侮蔑とダメの烙印については忘却力皆無ですから)
ですが、マリサポさんたちにはなんとか忍耐しながら使っていただけたようで…。
語弊があるかもしれませんが、売店なんてまぁしゃあないだろうと思う。
他のスタジアムでも同程度、いやむしろあれ以下の扱いを受けることは多々ある。
だが、だが、トイレだけは。
トイレトイレ連呼するのもなんですが、でも連呼します。トイレ、トイレ、トイレ。
トイレにだけは、ホームもアウェイもあっちゃ絶対にいかんと思う。
あらためて、試合以外のとこで不要なストレスかけて、アウェイサポの皆様には申し訳ないとお詫びしたい。
うちの運営も、現状、最大限がんばってます。
なんとか仲間うちで協力しあってしのいでいただければ、とせつに願います。
一、日立台はさびしかった。
ゴール裏を卒業しAL住人になって以来、いつもだいたい試合開始1時間半前くらいに行くんです。
しけっぽい土の匂いをかぎながら公園を抜ける。
お稲荷様に五円玉投げてお詣りする。
はやる心をおさえながらゲートをくぐり、テニスコートをうきうきのぞく。
そこにあるはずの、喧騒がなかった。
わかってたけど、ショックだった。
固く固くとじられたアウェイ側ゴル裏の扉。バクスタ下の売店も、どこかひっそりとしてて。通路が、びっくりするくらいスイスイ歩けてしまう。
甘いよサッカーは戦争だよ敵は敵だよとか言われちゃうかもしれないけど、
ああ、日立台ってアウェイサポがいてくれてこその劇場だなぁ、ってしみじみ思う。
試合中は親の仇より憎いし、ぶっつぶしたいし、凹ませてやりたいし、なにがなんでも勝ちたいけれども、
でも、なんだか『同志!』って連帯感もおぼえちゃうんだよね。
あのせまいゴル裏にぎゅうぎゅうしてる人たち、どう見ても同志なんですよね。
しかし、柏の葉や国立ではなぜかそんな気持ち1ピコグラムも湧かない。
距離が遠いからだろうか。
わたし、たぶん一般的な人とくらべるといわゆる“パーソナル・スペース”が相当せまい(=垣根が低すぎる)と思うんですが、その影響かしら。
距離って、難しいっすね。
近ければ近いほど、愛もわくけど憎悪もまねく。遠ければ、傷つかないけど、さびしい。
一、日立台はやっぱりバカだった。
……って、本当はそう締めたかったんです。
「日立台には、今日も愛すべき柏バカたちの歌声が誇らしく響きわたるのであった」と。
これが、ぜんぜんダメだった。
試合の勝敗以前に。
応援、一発目のコールからすでに、マリノスに完敗でした。声量も、圧力も、気合いもすべて。
気合い気合い連呼するのもなんですが、でも連呼します。気合い、気合い、気合い。
気合いでだけは、絶対に絶対に絶対に負けちゃいかんと思う。
ゴール裏もALも、ぜんぜんダメだったです。選手がダメだったのは言わずもがな。
あの大宮戦の“黄色い壁”はどこへいった?
あれで閉店セールも終了か?
ごく個人的なことなんですが、っていうか俺個人のブログだから個人的なこと書くの当たり前か。
わたくし、ただいま妊娠中なのです。(ごく近しい友人には前からお知らせ済みですが)
いままでアウェイはもちろん、ホームもナイトゲームや天気の悪いときは泣く泣くお留守番してたが、
おかげさまで最近無事に安定期に入りまして、残りの日立台2試合も参戦予定です。ああうれしい。
こないだの横浜M戦も、ひさびさに生レイソル見れる幸せをかみしめつつ、
「おとなしくしてなよ!」「暴れちゃダメ!」という親友母娘の言いつけをしっかり守り、
全盛期(?)よりはひかえめに声を出し、そのぶん手拍子がんばってました。
今日のゴール裏はなんだか空気が抜けちゃってるみたいだなーって、違和感いだきながら。
でも、3点目決められた瞬間、もう辛抱の限界だった。
しらじらとした空気、あきらめた空気、腕組みしつつ「ほれ見ろ言わんこっちゃない」とでも言いたげな空気、
とにかく日立台にからっぽな空気が充満してるのが耐えられなかった。
MAXで声出して歌った。
「マリノスのほうが最後まで戦ってるぞ!!」って叫んだ。
腹が張って痛くなってちょっとあせった…。(←自滅orz)
というわけで、偉そうに説教たれながらごめん、俺、悔しいけどぜんぜん戦力になれません。
だからこそ、全レイサポに心からお願いしたい。
とくにゴール裏。
もっと戦ってくれ。もっと、もっと。最後まで。
どこでもついていくあなたたちの尽力、わかってる。ここまできてさすがに思うところあるのもわかる。バカみたいに四六時中声出しゃいいってもんじゃないのも十分わかってる。
そのうえで、どうかもっと戦ってください。
座して見守ってる俺たちを、誇り高く導いてください。
弱っちくてすぐ原点を見失ってオロオロ歩いちゃう選手たちのどてっ腹に、あきらめず喝をぶち込みつづけてください。
日立台のゴール裏ってのは、この世にたったひとつきりの、レイソルの心臓なんだから。
あんたたちは俺らレイサポの誇りなんだから。
俺もいまは役に立たんが、来春には無事『新規レイサポ1名』確保できるようがんばります。
(マル高どまん中なもんで、うまく運ぶかどうか保証はないがな)
もう耳聞こえてるらしいんで、みなさんの歌声、胎教にさせてくれ。
あ、ちん☆んついてた場合はまずは未来のミスターレイソル目指す。
でもまだ当分の間はどっちかわかんない。
俺があんまりにも「ち☆ちん見えませんかー?」「いつ頃☆んちん見えますかー?」って何度も聞くもんだから先生が若汗怒っている。教えてくんなかったらどうしよう。
ってわけでこの話題は終了。
俺、ここで妊婦ブログ書きたいわけじゃないので。
それにしても。
土曜日のマリノスは、選手もサポも、かっこよかった。
あんなにも真摯に戦う姿見せつけられたら、もう完敗を通り越して“快敗”です。
正直に言うが、わたし、マリノスって昔からかなり積極的にきらいでした。
強くて、華があって、スマートで、おされで、なんかギャルギャルしくて、三色傘なんてクルクル回しちゃっておまえはあれかパリジェンヌかと。
(ごめんなさいごめんなさい、喧嘩売ってるわけじゃないんです田舎者のくだらないやっかみです…)
でも、あの日、せまいせまいアウェイゴール裏いっぱいに咲きみだれたトリパラは、
本当に美しかった。
来年はあいつらに絶対に勝ちたいね。
お返しにすさまじく気がふれた勝利ダンス踊ってやろうじゃないの。
Jリーグには、いいチームがある。
尊敬すべき敵がいる。
レイソルは、もっともがかなきゃダメだ。
そのことをかみしめた一日でした。
(あ、チケ二重発券については、被害にあった対象者だけじゃなく、ちゃんと公開説明してほしいんだけどなぁ…。なぜあっちゃならんことが起きたのか、知りたいし知らされるべきだと思うけど)
2008年10月23日
あの日の鹿島サポと、いまのわたしと、これからの日立台。
以下、ものすごく長いです。
鹿サポの友人がいる。
大好きな友人だ。
ドイツW杯のときに現地で知り合い、ひとり参加客だった数人で仲良くなり、滞在中ずっと親しくおつきあいさせていただいた。
それ以来、代表戦があるときには集まって飲んだり、Jの試合でもお互いに「いい試合しよう」とエール送りあったり。
ちょっと年上のお姉さんだけど俺なんかが足元に及ばないほどパワフルで、好奇心キラキラで、情熱的で、チャーミングで、お仕事がら超テキパキさんで世話好きで、頼もしくて、フェアな人。
ユース世代の海外遠征にまでまめに顔出すくらい、心底サッカーを愛してる人だ。
そんなSさんは、ドイツにいる間、しばらくどこのサポかを教えてくれなかった。
俺はむこうでもおもっきし黄色いプロコンシャツ着てタオマフ巻いたりしてたんで(J2はW杯中も中断がなかったわけで、日本時間に合わせて黄色くなってた)、どなたの目にもレイサポであることは一目瞭然だったし、ほかの日本人たちともJの話でよく盛り上がった。
だけどSさんは、どこのサポか、口を開かなかった。
帰国間際にようやく鹿サポであることをこっそり打ち明けてくれたが、
「あんまり大っぴらに言いたくなくて…」
先入観をもってほしくない、というようなニュアンスだった。
当時はジーコへの評価もどん底の底の底だったし、小笠原が微妙な立場だったりしたこともあって、きっと鹿サポだからこその歯がゆさやもどかしさもあるんだろうな、って思ってた。
ただ、それ以上に、『鹿サポ』であること自体がSさんの痛みになってるように見えた。
わたしは、正直、あの時点ではSさんの表情の意味を、重く感じてはいなかった。
強豪チームのサポでうらやましい、くらいに思ってた。
なんとなく雲行きがおかしくなってきたのは、翌年にレイソルがJ1復帰してからだ。
ひさびさのカシマスタジアム。
アントラーズというチームと再び戦える喜び。待ちに待ったもつ煮。
Sさんにも会える。
ところが、わざわざアウェー側ゲートにまでやってきてレイサポを威嚇・罵倒・恫喝する鹿島サポーターの一部チンピラどものせいで、わたしもSさんもその場から移動することができず、「危ないし怖いから今日はやめとこう」ということで会うことができなかった。
その後べつの場でSさんに会ったとき、わたしは無神経にも中心団体の蔑称を使って「あの馬鹿どものせいで不愉快だった」と彼女にぶつけてしまった。
「本当に申し訳ない。あいつらは鹿島の恥」
Sさんはわざわざ頭を下げてくれ、苦々しげに言った。
もちろん、だからといって鹿サポ全体を敵視するつもりなんてこれっぽっちもなかった。
中心団体がかなり問題を抱えた組織なのは昔から知っていたけど、どこのサポにもまずい部分はあるものだ。
実際、柏にだってひどい大事件を起こした過去がある。
「困ったもんだよね」「いつかトラブルにならなきゃいいけどね」と愚痴りあう程度だった。
ところが、それ以降、あちこちのスタジアムでぼこぼこと事件が起こる。
鹿サポの関係することも、新聞沙汰とまではいかずとも、連続で奇妙に目立っていた。
そして、今年の9月20日。
悪夢の一日。
思い出すだけで、いまだに、キーボードを叩く指が怒りでふるえる。
Sさんの柏到着が遅れたこともあり、試合前にフードコートで会うことはできなかった。
試合後は、当然、Sさんの存在も忘れていた。
なんとか日立台をあとにして、常磐線に乗り、奥歯がくだけそうなくらい噛みしめて憤りをおさえようとしていたとき、
Sさんからメールが来た。
「鹿島の恥です。ごめんなさい」
その瞬間、限界からあふれてしまった。
「『一部のバカの仕業』といつまでも見逃してていいのかな」
そう返してしまった。
「今日はひきわけてよかった。うちが勝ちでもしてたら、もっとひどい目に遭わされたでしょうから」
こんな八つ当たりまで書いてしまった。
われながらひどいな、と思った。
付け足すように小笠原が重傷じゃないように祈ってます、とも書いたけど、自分でも欺瞞だなってわかってた。
でも、ピッチ内外であんなひどい光景を目撃したあとでは、もう「困ったもんだよね」で済ませることはできなかった。
わたしにとっては、もう、一部団体だけの問題じゃなかった。
もう、あいつらの団体名の蔑称だけで片づけたくなかった。
わたしたちの聖地を汚された。
鹿島アントラーズのサポーターに。
それ以来、Sさんからのメールはない。
(ちなみに…わたしはプレー中の小笠原にブーイングいっぱい浴びせたし、彼が倒れた瞬間にはこのままピッチを去ってくれと期待した。ただ、例の場面では「拍手はやめようよ」ってまわりに向かって言った。怪我人に拍手するなんて、あの瞬間のALのゆがんだ熱気には、正直胸糞悪かった。
だけどそんな小さな声は何の役にも立たず、なんでもっと大声で叫ばなかったのか、いまだにおのれのケツの穴の小ささを恥じています)
なんでいまさらグチグチこんなことを蒸し返してるのか。
あの事件については、鹿島アントラーズの対応が明確になってから、そしてわが柏レイソルの今後の対策が発表されてから、書こうと思ってました。
(Jリーグ側からのアクションなんてはなから期待してない)
クラブ間で一応の決着をみるまでは、時間をおいたほうがいい。
そうでないと、鹿サポにむけてありとあらゆる呪詛の言葉を吐きつけかねなかった。
Sさんの顔が脳裏をよぎる。
もう、あのときのメール以上にひどい言葉を、友人にぶつけたくはなかった。
だけど。
鹿島の『サポーターズミーティング』の議事録の、あまりの馬鹿馬鹿しさ。
昨日レイソルからリリースされた日立台の運営変更の、さびしさ。
悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、
やっぱりキーボードを叩く指のふるえは止まりそうもない。
だから支離滅裂だけど胸の中のごちゃごちゃを全部さらしちまえと思いました。
一般論じゃなく、建設的な意見とかサポーターとしての前向きな提言でもなく、
あくまでも“わたし”の話。
これを吐き出さないことには、やっぱり、ぜんぜん先に進めない。
ずっと、鹿島アントラーズというチームに尊敬の念を抱いてきた。
中2のときの文集を開くと、他の生徒がまじめに作文書いてる中、わたしのページにはなぜかリトバルスキーの似顔絵と西ドイツ国旗が書いてある。
ご多聞にもれず『キャプ翼』でサッカーに目覚めちゃって以来(当時は岬太郎に惚れすぎたせいで頭がおかしくなっており、担任が朝礼で出欠をとるときも「岬さん!」と呼ばれないと返事しなかった ←アホ)、サッカーマガジン読み漁ったりサッカー部の顧問を追いかけまわして質問攻めにしたり、とにかくいろいろ小知恵をつけた。
1982年のW杯スペイン大会を知った。
リトバルスキーに惚れると同時に、もちろん、ブラジルの『黄金の四人組』の存在を知った。
とりわけ、ジーコに憧れた。
まさか日本に来て代表監督になる時代がやってくるだなんて妄想すらできなかった。
ヒトリデデキターのおじさんになってしまうまでは、俺の脳内ではジーコはずーっとかわみなみの『シャンペン・シャワー』の「ディッコ」そのものでした。(これ読んでないサカヲタ女子なんてモグリですから)
ジーコが日本でサッカーする。
それも、田舎の小さな町の、2部リーグのチームで。
信じられなかった。
そこからのJの発展、鹿島アントラーズの栄光、ジーコの偉業については、語るに野暮だ。
(代表では本当にひどい目に遭わされたけど。
ジーコにはせめて俺の100万円返してくれよと訴えたい)
わたしはガキの頃から家族の影響で野球もラグビーもかなり好きで見ていたのだが、
鹿島アントラーズというチームには、なぜかいつも新日鉄釜石ラグビー部、あるいは赤ヘル黄金時代の広島東洋カープがかぶる。
ユニの色だけじゃない。
チームのたたずまい。
応援する者たちのにおい。
ホームグラウンドの空気。
はじめて鹿島に行ったとき、真紅に染まったスタジアムのいたるところでひるがえる旗が、大漁旗に見えた。
釜石のおっちゃんたちがブンブン振りまわしてた、あの大漁旗。
胸が熱くなった。
川崎出身、読売ランドの近所で育ったもんで、J開幕当初はいちおうヴェルディ川崎のサポーターをやってたが、クラブに愛想つかしてやってられなくなって、その後はひたすら日本代表を追いかけつつ海外サッカーをぼちぼち見て、ところがある日名波浩という選手に惚れ、ジュビロを応援しつつナナギャルやってた。
そんなわけで鹿島と磐田の二強時代も“敵”としてよく知っている。
それに、誰がなんといおうが、俺にとっての日本代表の左サイドバックは、相馬直樹だ。
ああなんでこんなにダラダラくどく書いてるかといえば、
わたしがどれだけ鹿島アントラーズという存在に特別な気持ちを抱いてきたか、それを伝えたいんです。
Sさんに。そして鹿島アントラーズを愛する人たちに。
いまでも、鹿島アントラーズの選手たちには敬意をもってる。
憎たらしいけど、本当にサッカーが上手くて強くて、すばらしい選手たちだと思う。心底憎たらしいけど。
カシマスタジアムは、何度訪れても、いいようもない感慨がこみあげる。
日本のサッカーの歴史をしずかに、でもたしかに感じることができる場所だから。
だけど、というか、だからこそ、
もう二度とカシスタには行かない。
あんなクラブに少しでもお金を落とすような真似はしたくない。
わたしはいまだに鹿島サポーターを許すことができないままでいる。
Sさんに「ひどいこと言ってごめんなさい」って謝りのメールを送れないままでいる。
どう表現すれば、あなたたちにわかってもらえるんだろう。
わたしが日立台をどれだけ愛しているか。
本気で、死んだらこっそり骨を日立台の片隅に埋めてほしいって思ってるんだ。(ダンナの了解もとりつけ済み)
ちっちゃくて仮設でボロくてせまくて雨宿りさえろくにできなくて1万ちょっとでぎゅうぎゅうだけど、
こんなにも“サッカー好きのためだけにある”スタジアムは世界中どこにもない。
自分たちの手で聖地を汚す大事件を起こして以来、
レイソルはクラブもサポーターもひとつになって、
自分たちの手で聖地をふたたびよみがえらせる努力をしてきた。
陽射しのふりそそぐフードコートで、敵味方なくみんながビール飲んで屋台にならんでまったりしてる光景も、
ゴール裏のネタに、アウェイ側からダメ出しされちゃったりする光景も、
レイくんがアウェイサポを煽りに行ったのに逆に愛玩されちゃったりする光景も、
帰りの三小通りで、やっぱり敵味方まじってトボトボ歩いてる光景も、
いつもいつも、日立台は幸せでいっぱいだった。
試合に勝とうが負けようが、他サポが「やっぱ日立台いいよなー」って言ってくれることが、じつは一番うれしい。
でしょでしょ?
また来てね!
チケとりづらくて迷惑かけるけど、日立台こそが最高のおもてなしだと信じてきた。
あの日までは。
鹿島にとって『ジーコ・スピリッツ』がひとつの象徴であるならば、
柏にとっての魂は、まちがいなく『日立台』そのものだ、と思う。
すくなくともわたしには、何にも替えられない、この世にひとつだけの誇りだ。
その誇りを踏みにじられた悔しさを、どうすればわかってもらえますか。
怒りと悔しさと悲しみであの晩一睡もできなかった、わたしの気持ちはどうすれば伝わるのだろう。
鹿島の『サポーターズミーティング』議事録を読んだときの驚きを表現するのも、難しい。
言葉を選ばずに、思ったまま正直に書く。
まず、危機感および当事者意識ゼロの社長。
この人の頭の中身が、北の湖とまったく同じであることにあぜんとした。
横綱が巡業さぼろうがリンチで人が死のうが力士が大麻やろうがとにかく「親方の責任だと思います」のひと言で済ませようとした、
親方の言い分だけ聞いて「きっちり事情聴取した」「重く受けとめなければいけない」とかぬかしやがった、
ひとりふたり形式的に処分した程度でお茶にごそうとしやがった、
けしてみずから範をしめそうとしなかった、
あの無能な前理事長といったいどこがちがうというのか。
まぁ、どこからどう読んでも「責任とる気も改善する気もまったくありません」って本音丸出しの議事録をちゃんと公開した姿勢だけは、逆にあっぱれと褒めたくなるくらいだ。
わたしが鹿の広報なら恥ずかしくていたたまれなくて業務放棄するかもしれない。
(都合の悪いとこは修正しまくっただろうが、それでもあれが限界だったんだろう。同情すらおぼえる)
さらに、フロント側と同じドアから堂々登場したらしい、コールリーダーなる人物の発言。
「インファイトとしてやっているとそういうもめ事に巻き込まれるのは事実です。良く思っていない人が必ずいるし、アルコールが入って絡まれたりすることは多々ある。自分から行くことはないのですが、それでも相手が来た場合は仲間を守るしかない。知らんぷりはできません。仲間意識が強いから大問題になることもあります。暴力事件はいけないのはみんな分かっています。」
日本語がずいぶん不自由な方のようですので、
『盗人猛々しい(ぬすっとたけだけしい)』という言葉もきっとご存知ないのだろう。
あの日の鹿サポの愚行の数々は、他のブロガーさんたちが仔細に書いてくれてるので、
わたしは、わたしの目で見たことだけを書きます。
試合前と試合後、それぞれ目の前で見た鹿島サポーターの数人の姿を、いまだに忘れることができない。
吐いた台詞の一字一句も、そいつらの顔も、しっかり脳裏に焼きついてる。
わたしが試合開始の1時間半前に日立台に到着したとき、西ゲートの手前で、鹿サポの男がふたりがかりで、運営スタッフらしき人ひとりに因縁をつけていた。
煮しめたような小豆色のそろいのTシャツを着て、ふたりとも片手にビールの缶、片手にチューハイの缶(もちろんロング缶)を持ち、酔った息をスタッフの顔に吐きかけるような距離でグダグダからんでいた。
場内に缶をもちこませろと言ってる様子だった。
ああまた馬鹿磯がやってるよ、とあきれつつ横を通りすぎようとしたとき、ひとりの台詞が聞こえた。
「……だーかーらー、俺らだって暴れたくて暴れるわけじゃないんだよ。
でも若いやつらが盛り上がって暴れちゃったら、ぶっちゃけ止めらんないわけよ。
俺らべつにはじめっから暴れるつもりないわけよー。
でもみんな暴れだしちゃったらどうしようもないじゃん? あんたたちだって暴れてほしくないでしょ?」
また、試合後(というか試合終了前だけど)バクスタ通路からホーム側ゴール裏の入り口まで侵入し、物を投げたりボランティアスタッフにつかみかかったり一般サポを追っかけ回したりしていた鹿サポの男ども。
やはり煮しめた小豆色のTシャツを着ていたが、試合前の酔っぱらいとはちがう柄だった。
そのうちのひとりが、手足ふりまわして目がいっちゃってるやつを羽交い締めにした。
やや良識派と思われるひとが、仲間の狼藉を止めながら、こう叫んでたのだ。
「暴れんな!
これ以上暴れんな! もどれ、もどれ!
いいか、もうここではぜってー暴れんなよ! いいな、暴れんなよ!」
ああ、この人たちは徹頭徹尾『暴れる』『暴れない』ってことが行動規範なんだなぁ、とよくよくわかりました。
この人たちの実際に言ったことやったことに照らし合わせ、コールリーダーとやらの発言を正しい日本語に翻訳すれば、こうなります。
「インファイトとしてやっているとそういうもめ事を起こすのは事実です。良く思っていない人が必ずいるし、アルコールが入って絡んだりすることは多々ある。自分から行くことがほとんどなのですが、相手が歯向かってきた場合は徒党を組んでさらに攻めるしかない。知らんぷりはできません。仲間意識が強いから大問題になることもあります。暴力事件はいけないなんてみんな思っていません。むしろのぞむところです。」
どこかまちがってる?
そして、議事録の中で、フロント側やコールリーダーに一生懸命食い下がっていた、一般サポの人たち。
読んでて、せつなくてたまらなかった。
きっとみんな半ばあきらめにも似た心境で、それでも一筋のかすかな光を信じ、わざわざあのミーティングに出席し、ありったけの勇気をふりしぼって発言したんだと思う。
文書上では『参加者』という味気ない単語で片づけられてしまってるけれど、
どんな人なのか顔は見えないけれど、
あせり、とまどい、いらだち…、いろんな感情を抱えたサポーターの姿が目に浮かぶようだった。
ちょっと救われたような気がしました。
あれ読んだら、あのミーティングを「茶番だ」と鼻で笑うことなんてできない。
そもそも鹿サポさんのブログをあちこち読んで、多くの人が真摯に考え、悩んだり憤ったりしてること、よくわかってます。
そういえばあの日、日立台をようやく脱出したところで、ひと組の鹿サポカップルに「すみませーん、写真撮ってくださーい」と無邪気に頼まれた。
おもっきし鹿のレプユニ着た、笑顔のカップル。
こっちがわはあからさまにレイサポの群れ。
おいおいこいつら正気かよと一瞬面喰らったけど、よく考えたらこれこそいつもの日立台の光景だった。
きっとはじめて日立台に来てくれたんだな。楽しんでくれたかな。ピッチの近さ、喜んでもらえてたらいいな…。
わたしだって、「鹿サポ」なんてひとくくりで語る乱暴なやり方、本当はしたくない。
でも、頭ではそう思ってても、心はまだ、ぜんぜん割り切れないんです。
泥酔して暴れまわる鹿サポを、見て見ぬふりしてた鹿サポ。
大旗で選手をつつこうと走る鹿サポを、止めなかった鹿サポ。
にぎった拳ふりかざす鹿サポと、それを必死に制止しようとした鹿サポ。
「一部の馬鹿」な鹿サポと、彼らのリードで歌いコールしつづける鹿サポ。
あの小豆色のTシャツ着た鹿サポと、
初めて日立台に来たであろう鹿サポと、
何があったか見えなかった、知らなかった鹿サポ。
心からアントラーズを応援してる鹿サポ。
いつかカシスタで見た、誇らしげに旗をふる鹿サポたち。
大好きな友だちのSさん。
わたしは誰を責めて誰をかばえばいいのか、まるでわからない。
いったい誰をにくめばいい?
レイソルは弱っちいし、どうにもヘタレだ。
「何冠」なんて輝かしい歴史もない。A代表に呼ばれる選手もいない。
スポーツ新聞にはいまだに“トラブルメーカー”扱いを受ける。
勝てなくて、ポロポロ負けて、お願いだから残留しておくれよぅなんて祈るようなへぼい状況だ。
選手もサポも、なにかにつけびぃびぃ泣いてばっかりいる。
だけど、いまほど柏レイソルのサポーターであることを誇らしく思うときはない。
クラブは今回のことについてまごつきながらも誠実に対応してくれてると思う。
主催者責任ってやつをしっかりとらえて、いまできるかぎりのベストを尽くしてくれてると思う。
少なくとも、サポにむけて、すみやかに、ていねいに、発信してくれてる。
運営ルールの変更も、めちゃくちゃ悔しいしさびしいけど、信頼して支持します。
うちのコアも、本当に立派だと思う。バカだけど。
もちろん中心部が復活してからずっと「仲間」として「リーダー」として認めているし、だからこそ彼らのしきりをすすんで受け入れてきたけれど、あの日のコアの「あんなやつらと同じ土俵には立たない」「もう二度と過ちをくりかえさない」って姿勢を間近にして、ああまちがいなく生まれ変わったんだな、ってしみじみうれしかった。
調子乗りすぎて下品でひんしゅく買うこともあるけど、暴力を容認するような最低なメンタリティだけはどこにもないって信じられる。
ちょっと尊敬しました。
バカだけど。
ちなみにカタカナの「バカ」は誉め言葉だけど。
そして、にもかかわらず、向こうの馬鹿の挑発を真に受けて相手した“一部の馬鹿”がレイサポ内にもいる。
わたしはそいつとひとくくりに「柏サポは…」となじられても文句は言えない。
のどかで幸せな日立台のままではいられなくなったけど、『安全で快適なスタジアム作り』めざしてできるかぎり努力しなければ、と思う。
他サポのみなさんに安心して来てもらえる日立台をとりもどさなくちゃいけないと思う。
クラブ、選手、サポ仲間といっしょになら、できると思う。
鹿島アントラーズのサポーターは、どこをめざしてるんだろう。
やっぱ「12冠」なのかな。
きりがないから、もうこれで終わりにします。
わたしは、生まれてくるわが子に、日立台を見せる日を楽しみにしてきた。
かあちゃんの愛する日立台は、こんなにもすてきな場所なんだよ、って。
かあちゃんの大好きな柏レイソルは、こんなすげぇスタジアムで、すげぇサポたちと一緒に戦ってるんだよ。
はじめての遠出はぜったい日立台、って決めてる。(これもダンナの了解とりつけ済み)
来年必ず上がってくるはずのベガルタ仙台と、絶対残留してるはずのレイソルで、また死闘くりひろげるんだ。
んで、ベガサポのダンナには悪いが、日立台ではチビにはレイソルのユニ着せるぜ。
でもまだ早すぎて無理か。
とにかくその日を心待ちにしてきた。
でも、もう、わたしが惚れた日立台と、わが子の目にうつる日立台は、別モノだ。
ベガサポとレイサポと、いっしょにオカの悪口言いながらメシ食うなんて夢も、もうかなわない。
それが心から残念でならない。
Sさん、直接メールを送れないままで、ごめんなさい。
ひどい八つ当たりして、本当にごめんなさい。
今度会えるときには、日立台で、うちの子抱っこしてほしかったです。
鹿サポの友人がいる。
大好きな友人だ。
ドイツW杯のときに現地で知り合い、ひとり参加客だった数人で仲良くなり、滞在中ずっと親しくおつきあいさせていただいた。
それ以来、代表戦があるときには集まって飲んだり、Jの試合でもお互いに「いい試合しよう」とエール送りあったり。
ちょっと年上のお姉さんだけど俺なんかが足元に及ばないほどパワフルで、好奇心キラキラで、情熱的で、チャーミングで、お仕事がら超テキパキさんで世話好きで、頼もしくて、フェアな人。
ユース世代の海外遠征にまでまめに顔出すくらい、心底サッカーを愛してる人だ。
そんなSさんは、ドイツにいる間、しばらくどこのサポかを教えてくれなかった。
俺はむこうでもおもっきし黄色いプロコンシャツ着てタオマフ巻いたりしてたんで(J2はW杯中も中断がなかったわけで、日本時間に合わせて黄色くなってた)、どなたの目にもレイサポであることは一目瞭然だったし、ほかの日本人たちともJの話でよく盛り上がった。
だけどSさんは、どこのサポか、口を開かなかった。
帰国間際にようやく鹿サポであることをこっそり打ち明けてくれたが、
「あんまり大っぴらに言いたくなくて…」
先入観をもってほしくない、というようなニュアンスだった。
当時はジーコへの評価もどん底の底の底だったし、小笠原が微妙な立場だったりしたこともあって、きっと鹿サポだからこその歯がゆさやもどかしさもあるんだろうな、って思ってた。
ただ、それ以上に、『鹿サポ』であること自体がSさんの痛みになってるように見えた。
わたしは、正直、あの時点ではSさんの表情の意味を、重く感じてはいなかった。
強豪チームのサポでうらやましい、くらいに思ってた。
なんとなく雲行きがおかしくなってきたのは、翌年にレイソルがJ1復帰してからだ。
ひさびさのカシマスタジアム。
アントラーズというチームと再び戦える喜び。待ちに待ったもつ煮。
Sさんにも会える。
ところが、わざわざアウェー側ゲートにまでやってきてレイサポを威嚇・罵倒・恫喝する鹿島サポーターの一部チンピラどものせいで、わたしもSさんもその場から移動することができず、「危ないし怖いから今日はやめとこう」ということで会うことができなかった。
その後べつの場でSさんに会ったとき、わたしは無神経にも中心団体の蔑称を使って「あの馬鹿どものせいで不愉快だった」と彼女にぶつけてしまった。
「本当に申し訳ない。あいつらは鹿島の恥」
Sさんはわざわざ頭を下げてくれ、苦々しげに言った。
もちろん、だからといって鹿サポ全体を敵視するつもりなんてこれっぽっちもなかった。
中心団体がかなり問題を抱えた組織なのは昔から知っていたけど、どこのサポにもまずい部分はあるものだ。
実際、柏にだってひどい大事件を起こした過去がある。
「困ったもんだよね」「いつかトラブルにならなきゃいいけどね」と愚痴りあう程度だった。
ところが、それ以降、あちこちのスタジアムでぼこぼこと事件が起こる。
鹿サポの関係することも、新聞沙汰とまではいかずとも、連続で奇妙に目立っていた。
そして、今年の9月20日。
悪夢の一日。
思い出すだけで、いまだに、キーボードを叩く指が怒りでふるえる。
Sさんの柏到着が遅れたこともあり、試合前にフードコートで会うことはできなかった。
試合後は、当然、Sさんの存在も忘れていた。
なんとか日立台をあとにして、常磐線に乗り、奥歯がくだけそうなくらい噛みしめて憤りをおさえようとしていたとき、
Sさんからメールが来た。
「鹿島の恥です。ごめんなさい」
その瞬間、限界からあふれてしまった。
「『一部のバカの仕業』といつまでも見逃してていいのかな」
そう返してしまった。
「今日はひきわけてよかった。うちが勝ちでもしてたら、もっとひどい目に遭わされたでしょうから」
こんな八つ当たりまで書いてしまった。
われながらひどいな、と思った。
付け足すように小笠原が重傷じゃないように祈ってます、とも書いたけど、自分でも欺瞞だなってわかってた。
でも、ピッチ内外であんなひどい光景を目撃したあとでは、もう「困ったもんだよね」で済ませることはできなかった。
わたしにとっては、もう、一部団体だけの問題じゃなかった。
もう、あいつらの団体名の蔑称だけで片づけたくなかった。
わたしたちの聖地を汚された。
鹿島アントラーズのサポーターに。
それ以来、Sさんからのメールはない。
(ちなみに…わたしはプレー中の小笠原にブーイングいっぱい浴びせたし、彼が倒れた瞬間にはこのままピッチを去ってくれと期待した。ただ、例の場面では「拍手はやめようよ」ってまわりに向かって言った。怪我人に拍手するなんて、あの瞬間のALのゆがんだ熱気には、正直胸糞悪かった。
だけどそんな小さな声は何の役にも立たず、なんでもっと大声で叫ばなかったのか、いまだにおのれのケツの穴の小ささを恥じています)
なんでいまさらグチグチこんなことを蒸し返してるのか。
あの事件については、鹿島アントラーズの対応が明確になってから、そしてわが柏レイソルの今後の対策が発表されてから、書こうと思ってました。
(Jリーグ側からのアクションなんてはなから期待してない)
クラブ間で一応の決着をみるまでは、時間をおいたほうがいい。
そうでないと、鹿サポにむけてありとあらゆる呪詛の言葉を吐きつけかねなかった。
Sさんの顔が脳裏をよぎる。
もう、あのときのメール以上にひどい言葉を、友人にぶつけたくはなかった。
だけど。
鹿島の『サポーターズミーティング』の議事録の、あまりの馬鹿馬鹿しさ。
昨日レイソルからリリースされた日立台の運営変更の、さびしさ。
悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、
やっぱりキーボードを叩く指のふるえは止まりそうもない。
だから支離滅裂だけど胸の中のごちゃごちゃを全部さらしちまえと思いました。
一般論じゃなく、建設的な意見とかサポーターとしての前向きな提言でもなく、
あくまでも“わたし”の話。
これを吐き出さないことには、やっぱり、ぜんぜん先に進めない。
ずっと、鹿島アントラーズというチームに尊敬の念を抱いてきた。
中2のときの文集を開くと、他の生徒がまじめに作文書いてる中、わたしのページにはなぜかリトバルスキーの似顔絵と西ドイツ国旗が書いてある。
ご多聞にもれず『キャプ翼』でサッカーに目覚めちゃって以来(当時は岬太郎に惚れすぎたせいで頭がおかしくなっており、担任が朝礼で出欠をとるときも「岬さん!」と呼ばれないと返事しなかった ←アホ)、サッカーマガジン読み漁ったりサッカー部の顧問を追いかけまわして質問攻めにしたり、とにかくいろいろ小知恵をつけた。
1982年のW杯スペイン大会を知った。
リトバルスキーに惚れると同時に、もちろん、ブラジルの『黄金の四人組』の存在を知った。
とりわけ、ジーコに憧れた。
まさか日本に来て代表監督になる時代がやってくるだなんて妄想すらできなかった。
ヒトリデデキターのおじさんになってしまうまでは、俺の脳内ではジーコはずーっとかわみなみの『シャンペン・シャワー』の「ディッコ」そのものでした。(これ読んでないサカヲタ女子なんてモグリですから)
ジーコが日本でサッカーする。
それも、田舎の小さな町の、2部リーグのチームで。
信じられなかった。
そこからのJの発展、鹿島アントラーズの栄光、ジーコの偉業については、語るに野暮だ。
(代表では本当にひどい目に遭わされたけど。
ジーコにはせめて俺の100万円返してくれよと訴えたい)
わたしはガキの頃から家族の影響で野球もラグビーもかなり好きで見ていたのだが、
鹿島アントラーズというチームには、なぜかいつも新日鉄釜石ラグビー部、あるいは赤ヘル黄金時代の広島東洋カープがかぶる。
ユニの色だけじゃない。
チームのたたずまい。
応援する者たちのにおい。
ホームグラウンドの空気。
はじめて鹿島に行ったとき、真紅に染まったスタジアムのいたるところでひるがえる旗が、大漁旗に見えた。
釜石のおっちゃんたちがブンブン振りまわしてた、あの大漁旗。
胸が熱くなった。
川崎出身、読売ランドの近所で育ったもんで、J開幕当初はいちおうヴェルディ川崎のサポーターをやってたが、クラブに愛想つかしてやってられなくなって、その後はひたすら日本代表を追いかけつつ海外サッカーをぼちぼち見て、ところがある日名波浩という選手に惚れ、ジュビロを応援しつつナナギャルやってた。
そんなわけで鹿島と磐田の二強時代も“敵”としてよく知っている。
それに、誰がなんといおうが、俺にとっての日本代表の左サイドバックは、相馬直樹だ。
ああなんでこんなにダラダラくどく書いてるかといえば、
わたしがどれだけ鹿島アントラーズという存在に特別な気持ちを抱いてきたか、それを伝えたいんです。
Sさんに。そして鹿島アントラーズを愛する人たちに。
いまでも、鹿島アントラーズの選手たちには敬意をもってる。
憎たらしいけど、本当にサッカーが上手くて強くて、すばらしい選手たちだと思う。心底憎たらしいけど。
カシマスタジアムは、何度訪れても、いいようもない感慨がこみあげる。
日本のサッカーの歴史をしずかに、でもたしかに感じることができる場所だから。
だけど、というか、だからこそ、
もう二度とカシスタには行かない。
あんなクラブに少しでもお金を落とすような真似はしたくない。
わたしはいまだに鹿島サポーターを許すことができないままでいる。
Sさんに「ひどいこと言ってごめんなさい」って謝りのメールを送れないままでいる。
どう表現すれば、あなたたちにわかってもらえるんだろう。
わたしが日立台をどれだけ愛しているか。
本気で、死んだらこっそり骨を日立台の片隅に埋めてほしいって思ってるんだ。(ダンナの了解もとりつけ済み)
ちっちゃくて仮設でボロくてせまくて雨宿りさえろくにできなくて1万ちょっとでぎゅうぎゅうだけど、
こんなにも“サッカー好きのためだけにある”スタジアムは世界中どこにもない。
自分たちの手で聖地を汚す大事件を起こして以来、
レイソルはクラブもサポーターもひとつになって、
自分たちの手で聖地をふたたびよみがえらせる努力をしてきた。
陽射しのふりそそぐフードコートで、敵味方なくみんながビール飲んで屋台にならんでまったりしてる光景も、
ゴール裏のネタに、アウェイ側からダメ出しされちゃったりする光景も、
レイくんがアウェイサポを煽りに行ったのに逆に愛玩されちゃったりする光景も、
帰りの三小通りで、やっぱり敵味方まじってトボトボ歩いてる光景も、
いつもいつも、日立台は幸せでいっぱいだった。
試合に勝とうが負けようが、他サポが「やっぱ日立台いいよなー」って言ってくれることが、じつは一番うれしい。
でしょでしょ?
また来てね!
チケとりづらくて迷惑かけるけど、日立台こそが最高のおもてなしだと信じてきた。
あの日までは。
鹿島にとって『ジーコ・スピリッツ』がひとつの象徴であるならば、
柏にとっての魂は、まちがいなく『日立台』そのものだ、と思う。
すくなくともわたしには、何にも替えられない、この世にひとつだけの誇りだ。
その誇りを踏みにじられた悔しさを、どうすればわかってもらえますか。
怒りと悔しさと悲しみであの晩一睡もできなかった、わたしの気持ちはどうすれば伝わるのだろう。
鹿島の『サポーターズミーティング』議事録を読んだときの驚きを表現するのも、難しい。
言葉を選ばずに、思ったまま正直に書く。
まず、危機感および当事者意識ゼロの社長。
この人の頭の中身が、北の湖とまったく同じであることにあぜんとした。
横綱が巡業さぼろうがリンチで人が死のうが力士が大麻やろうがとにかく「親方の責任だと思います」のひと言で済ませようとした、
親方の言い分だけ聞いて「きっちり事情聴取した」「重く受けとめなければいけない」とかぬかしやがった、
ひとりふたり形式的に処分した程度でお茶にごそうとしやがった、
けしてみずから範をしめそうとしなかった、
あの無能な前理事長といったいどこがちがうというのか。
まぁ、どこからどう読んでも「責任とる気も改善する気もまったくありません」って本音丸出しの議事録をちゃんと公開した姿勢だけは、逆にあっぱれと褒めたくなるくらいだ。
わたしが鹿の広報なら恥ずかしくていたたまれなくて業務放棄するかもしれない。
(都合の悪いとこは修正しまくっただろうが、それでもあれが限界だったんだろう。同情すらおぼえる)
さらに、フロント側と同じドアから堂々登場したらしい、コールリーダーなる人物の発言。
「インファイトとしてやっているとそういうもめ事に巻き込まれるのは事実です。良く思っていない人が必ずいるし、アルコールが入って絡まれたりすることは多々ある。自分から行くことはないのですが、それでも相手が来た場合は仲間を守るしかない。知らんぷりはできません。仲間意識が強いから大問題になることもあります。暴力事件はいけないのはみんな分かっています。」
日本語がずいぶん不自由な方のようですので、
『盗人猛々しい(ぬすっとたけだけしい)』という言葉もきっとご存知ないのだろう。
あの日の鹿サポの愚行の数々は、他のブロガーさんたちが仔細に書いてくれてるので、
わたしは、わたしの目で見たことだけを書きます。
試合前と試合後、それぞれ目の前で見た鹿島サポーターの数人の姿を、いまだに忘れることができない。
吐いた台詞の一字一句も、そいつらの顔も、しっかり脳裏に焼きついてる。
わたしが試合開始の1時間半前に日立台に到着したとき、西ゲートの手前で、鹿サポの男がふたりがかりで、運営スタッフらしき人ひとりに因縁をつけていた。
煮しめたような小豆色のそろいのTシャツを着て、ふたりとも片手にビールの缶、片手にチューハイの缶(もちろんロング缶)を持ち、酔った息をスタッフの顔に吐きかけるような距離でグダグダからんでいた。
場内に缶をもちこませろと言ってる様子だった。
ああまた馬鹿磯がやってるよ、とあきれつつ横を通りすぎようとしたとき、ひとりの台詞が聞こえた。
「……だーかーらー、俺らだって暴れたくて暴れるわけじゃないんだよ。
でも若いやつらが盛り上がって暴れちゃったら、ぶっちゃけ止めらんないわけよ。
俺らべつにはじめっから暴れるつもりないわけよー。
でもみんな暴れだしちゃったらどうしようもないじゃん? あんたたちだって暴れてほしくないでしょ?」
また、試合後(というか試合終了前だけど)バクスタ通路からホーム側ゴール裏の入り口まで侵入し、物を投げたりボランティアスタッフにつかみかかったり一般サポを追っかけ回したりしていた鹿サポの男ども。
やはり煮しめた小豆色のTシャツを着ていたが、試合前の酔っぱらいとはちがう柄だった。
そのうちのひとりが、手足ふりまわして目がいっちゃってるやつを羽交い締めにした。
やや良識派と思われるひとが、仲間の狼藉を止めながら、こう叫んでたのだ。
「暴れんな!
これ以上暴れんな! もどれ、もどれ!
いいか、もうここではぜってー暴れんなよ! いいな、暴れんなよ!」
ああ、この人たちは徹頭徹尾『暴れる』『暴れない』ってことが行動規範なんだなぁ、とよくよくわかりました。
この人たちの実際に言ったことやったことに照らし合わせ、コールリーダーとやらの発言を正しい日本語に翻訳すれば、こうなります。
「インファイトとしてやっているとそういうもめ事を起こすのは事実です。良く思っていない人が必ずいるし、アルコールが入って絡んだりすることは多々ある。自分から行くことがほとんどなのですが、相手が歯向かってきた場合は徒党を組んでさらに攻めるしかない。知らんぷりはできません。仲間意識が強いから大問題になることもあります。暴力事件はいけないなんてみんな思っていません。むしろのぞむところです。」
どこかまちがってる?
そして、議事録の中で、フロント側やコールリーダーに一生懸命食い下がっていた、一般サポの人たち。
読んでて、せつなくてたまらなかった。
きっとみんな半ばあきらめにも似た心境で、それでも一筋のかすかな光を信じ、わざわざあのミーティングに出席し、ありったけの勇気をふりしぼって発言したんだと思う。
文書上では『参加者』という味気ない単語で片づけられてしまってるけれど、
どんな人なのか顔は見えないけれど、
あせり、とまどい、いらだち…、いろんな感情を抱えたサポーターの姿が目に浮かぶようだった。
ちょっと救われたような気がしました。
あれ読んだら、あのミーティングを「茶番だ」と鼻で笑うことなんてできない。
そもそも鹿サポさんのブログをあちこち読んで、多くの人が真摯に考え、悩んだり憤ったりしてること、よくわかってます。
そういえばあの日、日立台をようやく脱出したところで、ひと組の鹿サポカップルに「すみませーん、写真撮ってくださーい」と無邪気に頼まれた。
おもっきし鹿のレプユニ着た、笑顔のカップル。
こっちがわはあからさまにレイサポの群れ。
おいおいこいつら正気かよと一瞬面喰らったけど、よく考えたらこれこそいつもの日立台の光景だった。
きっとはじめて日立台に来てくれたんだな。楽しんでくれたかな。ピッチの近さ、喜んでもらえてたらいいな…。
わたしだって、「鹿サポ」なんてひとくくりで語る乱暴なやり方、本当はしたくない。
でも、頭ではそう思ってても、心はまだ、ぜんぜん割り切れないんです。
泥酔して暴れまわる鹿サポを、見て見ぬふりしてた鹿サポ。
大旗で選手をつつこうと走る鹿サポを、止めなかった鹿サポ。
にぎった拳ふりかざす鹿サポと、それを必死に制止しようとした鹿サポ。
「一部の馬鹿」な鹿サポと、彼らのリードで歌いコールしつづける鹿サポ。
あの小豆色のTシャツ着た鹿サポと、
初めて日立台に来たであろう鹿サポと、
何があったか見えなかった、知らなかった鹿サポ。
心からアントラーズを応援してる鹿サポ。
いつかカシスタで見た、誇らしげに旗をふる鹿サポたち。
大好きな友だちのSさん。
わたしは誰を責めて誰をかばえばいいのか、まるでわからない。
いったい誰をにくめばいい?
レイソルは弱っちいし、どうにもヘタレだ。
「何冠」なんて輝かしい歴史もない。A代表に呼ばれる選手もいない。
スポーツ新聞にはいまだに“トラブルメーカー”扱いを受ける。
勝てなくて、ポロポロ負けて、お願いだから残留しておくれよぅなんて祈るようなへぼい状況だ。
選手もサポも、なにかにつけびぃびぃ泣いてばっかりいる。
だけど、いまほど柏レイソルのサポーターであることを誇らしく思うときはない。
クラブは今回のことについてまごつきながらも誠実に対応してくれてると思う。
主催者責任ってやつをしっかりとらえて、いまできるかぎりのベストを尽くしてくれてると思う。
少なくとも、サポにむけて、すみやかに、ていねいに、発信してくれてる。
運営ルールの変更も、めちゃくちゃ悔しいしさびしいけど、信頼して支持します。
うちのコアも、本当に立派だと思う。バカだけど。
もちろん中心部が復活してからずっと「仲間」として「リーダー」として認めているし、だからこそ彼らのしきりをすすんで受け入れてきたけれど、あの日のコアの「あんなやつらと同じ土俵には立たない」「もう二度と過ちをくりかえさない」って姿勢を間近にして、ああまちがいなく生まれ変わったんだな、ってしみじみうれしかった。
調子乗りすぎて下品でひんしゅく買うこともあるけど、暴力を容認するような最低なメンタリティだけはどこにもないって信じられる。
ちょっと尊敬しました。
バカだけど。
ちなみにカタカナの「バカ」は誉め言葉だけど。
そして、にもかかわらず、向こうの馬鹿の挑発を真に受けて相手した“一部の馬鹿”がレイサポ内にもいる。
わたしはそいつとひとくくりに「柏サポは…」となじられても文句は言えない。
のどかで幸せな日立台のままではいられなくなったけど、『安全で快適なスタジアム作り』めざしてできるかぎり努力しなければ、と思う。
他サポのみなさんに安心して来てもらえる日立台をとりもどさなくちゃいけないと思う。
クラブ、選手、サポ仲間といっしょになら、できると思う。
鹿島アントラーズのサポーターは、どこをめざしてるんだろう。
やっぱ「12冠」なのかな。
きりがないから、もうこれで終わりにします。
わたしは、生まれてくるわが子に、日立台を見せる日を楽しみにしてきた。
かあちゃんの愛する日立台は、こんなにもすてきな場所なんだよ、って。
かあちゃんの大好きな柏レイソルは、こんなすげぇスタジアムで、すげぇサポたちと一緒に戦ってるんだよ。
はじめての遠出はぜったい日立台、って決めてる。(これもダンナの了解とりつけ済み)
来年必ず上がってくるはずのベガルタ仙台と、絶対残留してるはずのレイソルで、また死闘くりひろげるんだ。
んで、ベガサポのダンナには悪いが、日立台ではチビにはレイソルのユニ着せるぜ。
でもまだ早すぎて無理か。
とにかくその日を心待ちにしてきた。
でも、もう、わたしが惚れた日立台と、わが子の目にうつる日立台は、別モノだ。
ベガサポとレイサポと、いっしょにオカの悪口言いながらメシ食うなんて夢も、もうかなわない。
それが心から残念でならない。
Sさん、直接メールを送れないままで、ごめんなさい。
ひどい八つ当たりして、本当にごめんなさい。
今度会えるときには、日立台で、うちの子抱っこしてほしかったです。
2008年10月05日
it's like a new generation calling, can you hear it call?
人生で大切にすべき“3つの袋”といえば、
「給料袋」
「おふくろ」
「例の袋」
ですが、
レイソルには“3つの坂”があると申します。それは、
「上り坂」
「下り坂」
「まさか」 ←今ここ
わたくし、ちょっとゆえあってしばらく生観戦お休み中だったんですね。
第22節の清水戦以降、ホーム、アウェーともにスカパで観てた。結果、全負け。
第25節の日立台での鹿島戦だけ行けた。ここだけかろうじてドロー。
『もしかして、俺がスカパで観てるのがいけないのか?』
そういえばひきわけた埼スタの浦和戦は、BS-iだったっけ。
というわけで、昨夜はいっさいスカパ見ませんでした。
しかし気になる。
はげしく気になる。
あまりにも気になるので、前半終了の頃に「一度だけ…」とモバレイの試合情報のページを開いてしまった。
細目でこわごわ見ると(←直視できないヘタレ)、
「得点」
村上佑介
村上佑介
村上佑介
と書いてある。
ああ、オーチョさんついに壊れちゃったな、って思った。
これは
「警告・退場」
村上佑介 ←カレー
村上佑介 ←カレーおかわり
村上佑介 ←キムチ盛り合わせ
って書く場所まちがえちゃったんだな、と本気で思った。
でも、ちょっとおかしいなーと、念のためべつの速報サイト開いてみた。
(;゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚) …!?
ごめん、ちょっと意味がわからない。
あまりの意味不明ぶりにおそろしくなり、
試合終了から1時間以内で、他サポの友人たちから『村上って誰よ!?』ってメールが5件もきました。
こっちが聞きたいっすよ。
あの、柏市民文化会館大ホールで次郎とふたり不自然なほど直立不動だった村上くんが、
あの、去年からケガの治療しに来てるとしか思えなかった村上くんが、
あの、その後安心してスカパつけてAGSを観てみたら
まさか、フランサに「パスよこせ!!」と要求できるような選手だったとは(ノ∀`)
(なんかさ、しゃべってる顔の上半分が波戸で、鼻から下はイワオって気が… >村上くん)
個人的には村上くんのお顔をギュッ!てする古賀ちゃんのうれしそうな笑顔に(*´Д`)ハァハァ
古賀ちゃんって、ドゥーとかDFの子たちがゴール決めると、それはもう本当にクシャクシャの顔して祝福しに行きますよね。若い子たちの頑張りが自分のことのようにうれしいんだろうな。
胸にきゅんとくる光景。
つまり何が言いたいかというと、
俺が観なければ勝てるんじゃないか。
(あると思います。)
残りホーム3試合は行けるんだけどなぁ…
これだけは行っときたいんだけどなぁ…
日立台には行くけど試合観なけりゃいいのか。シミスポか。
とにかく、ひさびさにちゃんとスパサカ観たあとは、祝杯ということで
アルフォートひと袋一気食いしました。
ということで、ちょっとまじめに。
この一勝は、本当に大きい。
勝ち点だけの問題じゃない。
選手も、サポも、「信じる」ことは絶対に「力」になるんだって、あらためて確認できた90分だったと思うから。
レイソルの一番の売りって、みんながバカみたいに「信じてる」ことだと思うんです。
こないだの拓ちゃんのブログ。ガンバ戦のハーフタイム。
スゲの言葉。
タニの言葉。
太田くんの言葉。
イシの言葉。
フルベの言葉。
キタジの言葉。
石さんの言葉。
拓ちゃんの、言葉。
あれ、ぜんぶ、「信じてる」から出る言葉だよね?
だから、そんな言葉を目で追いながらあんなに泣けちゃうのも、「信じてる」証拠のうれし涙だよね?
昨夜のナクスタを埋めつくした真っ黄色がどこまでも力強いのは、「信じてる」想いをありったけこめた声のチカラだよね?
(スカパ観なくても、みんなの声がどれだけ選手の背中押したか、手にとるように想像できる。
現地組、本当に本当にありがとう!! レイサポほんま最高じゃー)
だから俺、ぜんぜん心配してない。
危機感はもっても、怒りや苛立ちはないよ。
根拠はまったくないけど、いまは、うちの選手もサポもなにがあっても大丈夫だって信じられるもん。
まだまだ厳しい戦いはつづくけれど、迷わず・ブレず・恐れず、信じた道を歩いていきましょう。
みんなで。
明けない夜なんてない。
太陽は、かならず新しい朝を連れてきてくれるんだから。
(;¬_¬).。oOО(とりあえず俺は次のサポーロ戦も観ないからみんな安心汁…)
おまけ。
今朝は明け方に朝刊が届いた瞬間、えいっ!と起き出し、いそいそ各紙読んでみた。
ニッカンなどスポーツ紙はふつうに村上が大きくて満足。
しかし、東京新聞を開いてみたら…
ガンバの橋本がアリエナイことになってました。
(ぜひクリック拡大してご覧ください…)



